【様々なる劇評そのJ】
山田勝仁(演劇ジャーナリスト)これまた明晰、的確な長編劇評
〜見逃したら2024年の演劇は語れない〜
新宿スターフィールドで上演中の流山児★事務所「冥王星の使者」(作=高取英、演出=アマノテンガイ・流山児祥)が抜群の面白さ。高取英の奇想ロマン(詩劇)と天野天街のポップでキッチュな演出を引き継いだ流山児祥の「緻密な剛腕」演出が見事に絡み合い、間然する所のない舞台が生まれた。「3人の良いとこ取り」だね。これ、見逃したら今年の演劇は語れないよ。
物語は大正・昭和初期に二度に渡って行われた国家による出口王仁三郎の大本教の宗教弾圧をベースにしている。
なぜ潰されるまで大弾圧されたのか。
大本教は天皇の始祖・天照大神(アマテラスオオミカミ)より上位の神である国常立尊(クニノトコタチ)を重要視していたため「現人神」たる天皇の宗教的権威及び統治権の根拠を脅かしかねなかったのだ。
それが舞台に出てくる「艮(うしとら)の金神(こんじん)」。国常立尊は強大な力を持っていたため、八百万の神々によって恐れられ、地上を追放され、艮(うしとら)の方角(北東)に隠棲せざるを得なくなってしまう。つまり権力にとっての「鬼門」。
高取史観では国常立尊とスサノオを同一視している。つまり、どちらも「皇統」の逆賊であるということ。
「冥王星の使者」は大本教をモデルにした「邪宗門」を書いた作家・高橋和巳(劇中では大主教。高橋芳彦=春はるか)を主人公に、義経伝説を絡めて時空間をワープする「革命劇」だ。
義経をスサノオの系統、敵対する北条政子をアマテラス=現皇統の系統とみなして、ふたつの勢力の争闘から「窮民革命」へと飛翔させる。高取革命はタイムワープし、時代を超えて継承される。それは白土三平の「影丸伝」の影一族が斃されてもなお姿を変え、「革命」を志向していく姿と重なる。
高取詩劇の援軍は常に「歴史」の中から浮かび上がる。
高取史観は過去と現在・未来がワープしながら「あり得た歴史」を描くもの。寺山修司は「実際に起こらなかったことも歴史のうちであると思えば過去の作り変えによってこそ人生は現在の呪縛から解放されるのである」と言った。換言すれば、想像力こそが世界を変えると寺山修司は言ったのだ。それを、高取さんは演劇で実践した。
ただし、宮本研に代表される新劇の墨痕鮮やかな楷書体の「革命」ではなく、高取さんのそれは人懐っこい丸ゴシックの「かくめい」だ。
初演のチラシに高取さんは「演劇はシェークスピア戯曲集の中にも、世界演劇史の中にもない。それは改造人形バービーちゃんにある」と書いている。バービーちゃんというのは、白夜書房の出していた「ビリー」にでてくる人形偏愛者が作り出した人形のこと。つまり、インテリではなく、そのへんに転がっている変態人形にこそ演劇の本質を見出したのだ。
「演劇内演劇を評している演劇ジャーナリストは地動説を信じた中世の聖職者と何ら変わりはない」とまで言い切っている。
高取さんの志向は寺山修司さんと同じく、演劇という枠におさまらない「演劇外演劇」だった。そのためには、既成の俳優よりも無垢な「素人」の方が、高取史観を伝えるのに有効だった。
高取史観に大きな影響を与えた一人は矢切止夫だった。「ファンレターを送ったら段ボール2箱の著書を送ってきてくれた」と昔言ってた。矢切史観というのは、「上杉謙信は女だった」とか、「織田信長を殺したのは光秀ではない。イエズス会だ」「徳川家康は四人いた」という家康の影武者説、「天皇アラブ渡来説」「大和民族は外来民族であるという説」など荒唐無稽だけど一理ある。
外来民族説は新左翼諸党派、また太田竜に大きな影響を与えた。「冥王星」(PLUTO=プルート)の基はローマ神話に登場する冥府の王である。「死」の象徴であり、プルートゥは手塚治虫の鉄腕アトム「史上最大のロボット」篇に登場する。自身が最強のロボットであることを証明するために各国のスーパーロボットと果たし合いをするが、戦いを重ねるうちに、自分のアイデンティティーに悩むようになっていく。
手塚ファンの高取英が「冥王星の使者」と題したことにこの悲劇のロボットがあったのは間違いない。主人公の高橋芳彦は宇宙にワープし、死の象徴である冥王星から、天体を見つめる。そこには天王星や土星が見える。もはや高橋は冥府の「死者」なのだ。革命のために闘い、斃れ、傷ついた若者たちの安息の地。亜美が言う。「宇宙は神さまの夢だとするとその神は艮の金神さま。そしてその艮の金神の夢の中で私たちは神を夢見ているのかもしれない…」。
そう、それでも私たちは革命の夢を見続けるのだ。
高取ロマン(物語)の原点ともいえる屈指の作品。
今回、天野・流山児という演劇界の異能が高取ワールドを組み立て直したことで高取さんが描こうとした物語がはっきりとした輪郭で迫った。 精妙な人形の小道具を見たら高取さんが喜んだに違いない。同じ時間をループする天野演出も効果を上げていた。
なによりも役者陣が素晴らしい。主人公・高橋を演じた春はるかがすっくと立つ男前の凛々しさ。元月蝕歌劇団の三坂知絵子が眼光鋭く、長女・亜美を演じて迫真の芝居。伊藤弘子が教団の主・井戸本を軽妙に。坂本杏奈が北条政子の酷薄を重厚に。傀儡子たち(里美和彦・森春介・山下直哉)が自在に物語を牽引した。 そのほかのキャストも見事に高取ワールドを体現していた。二女マキ(山川美憂)、静御前(荒木理恵)、テコナ・静江(鈴木麻里)、刑事部長(栗原茂)、刑事(上田和弘・本間隆斗)、源義経(高信すみれ)、弁慶(平野直美)、北条時政(向後絵梨香)、源頼政(竹本優希)、弥生(真田雪)、署長(流山児祥)。
今回の舞台は、高取脚本に三坂知絵子・森永理科(元月蝕歌劇団)+V・銀太・流山児祥が手を加えた共同脚本とのこと。
音楽は巻上公一、重要な人形製作はITOプロジェクトの山田俊彦、映像・振付は池田遼(少年王者館)。
聖ミカエラ学園漂流記から42年、高取演劇はブレる事なく、同じテーマで変奏してきたという事がよくわかる。
1時間40分。12月1日まで。