公演情報

流山児★事務所 2020第一弾
『コタン虐殺』
作・演出:詩森ろば

下北沢 ザ・スズナリ

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1974年、北海道白老町で、
町長が若い男に刺されるという事件が起こる。
犯人は最初アイヌを名乗っていたが、
実はそれは嘘で、
本州から来た運動家であることが、
徐々に明らかになる・・・

「OKINAWA1972」で
流山児★事務所とタッグを組んだ詩森ろばが
今回は北海道、「白老町長襲撃事件」を焦点に
新作を書き下ろします。

◎日程・・・
2020年2月1日(土)〜9日(日)
1(土)19:00
2日)14:00
3(月)19:00
4(火)19:00
5(水)14:00
6(木)14:00/19:00
7(金)14:00
8(土)14:00/19:00
9(日)14:00
当日券の発売は開演の1時間前より
開場は開演の30分前より

●会場・・・
下北沢ザ・スズナリ 
 

●チケット詳細はこちら

◎出演
伊藤弘子
上田和弘
甲津拓平
イワヲ
荒木理恵
流山児祥
(以上、流山児★事務所)

村松恭子
みょんふぁ
田島亮(serial number)
杉木隆幸
藤尾勘太郎
牛水里美(黒色綺譚カナリア派)

演奏
鈴木光介(時々自動)

お問い合わせ・・・
流山児★事務所(りゅうざんじ じむしょ) 
TEL 03-5272-1785(平日13:00〜17:00)
E-MAIL mail@ryuzanji.com

 

 

流山児★事務所
2018年度 新人募集
劇団で活動することに興味がある人を募集します。

【募集人員】
6名 (俳優・スタッフ・制作)
18歳以上35歳未満。
国籍不問。心身ともに健康な男女

【第一次審査:書類選考】
以下を流山児★事務所まで郵送してください。
(1)履歴書(連絡のつく電話番号とメールアドレスを記載のこと)
(2)写真1点(バストアップ)
(3)作文「流山児★事務所に入団してやりたいこと」(400字程度)


【第二次審査:実技・面接】
書類選考通過者のみ、連絡いたします。
※実技審査料3,000円は当日持参のこと。
※スタッフ・制作は面接のみ(無料)です。

【入団後の活動】
流山児★事務所の活動に準じていただきます。
優秀な新人は劇団公演、海外公演などに参加できます。

【入団後の費用】
(1)入団金:50,000円
(2)研修費+稽古場維持費:月額10,000円(月納)
※入団1年後には稽古場維持費:月額5,000円のみとなります。

【お問合せ・応募先】
流山児★事務所 新人募集係
〒162-0045 東京都新宿区馬場下町60番地 まんしょん早稲田307
TEL:03-5272-1785(平日13時〜17時)
E-MAIL:mail@ryuzanji.com

情報詳細
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長編劇評「オケハザマ」[オケハザマ]

天下泰平のという夢の途中
藤原央登
(劇評家)

流山児★事務所『オケハザマ』
2018年1月24日(土) 〜 2月4日(日) 会場 下北沢ザ・スズナリ


  駿河の戦国大名・今川義元は2万5千人の軍勢を率いて、織田信長が治める尾張に侵攻した。迎え撃つ織田軍は5千人程度で、数の上では圧倒的な差があった。しかし織田軍の奇襲によって、今川軍は返り討ちに遭ってしまう。これが桶狭間の戦い(1560年)である。この戦いで、それまで東海道で広く影響力を及ぼしていた今川氏は凋落し、織田信長にとってはその後の戦国時代で存在感を高める転換点となった。



 本作は漫画家・しりあがり寿の書き下ろし初戯曲である(脚本協力=竹内佑(デス電所))。静岡県出身のしりあがりは、信長に注目されがちな桶狭間の戦いを、同郷の義元の視点から描いた。とはいえシュールなギャグ漫画で知られるしりあがりである。忠実な歴史劇ではない。武将が群雄割拠する戦国時代は、劇半ばからテレビゲームに移行してしまう。これが劇の大枠であり最大のギャグなのだが、ほかにもあちこちに現代の社会・風俗ネタが盛り込まれる。加えて自由な歴史の見方に拍車をかけるのが、流山児祥による演出である(演出協力=林周一(風煉ダンス))。暗転と明転を何度も繰り返して行われるスピーディーな場転、舞台背景全体に投影される暗示的な映像、幾何学的なダンス。天野天街(少年王者舘)の方法にインスパイアされたような演出を駆使して、総勢29名の俳優を整然と動かし、劇にテンポを生み出す。そのような劇世界の中、役柄とコロスを兼ねる俳優たちは、大人数での活劇やダンス、さらには歌まで歌う。劇空間を俳優の数とパワーで埋め尽くす賑やかさで、まさに新春に相応しい娯楽作品に仕立てた。俳優、戯曲、演出が三位一体になって、混沌でかつ奇想天外な劇世界を一気に駆け抜けた。そうでありながらも、本作には劇の骨子がしっかりとある。一見すると史実とは関係のない劇世界は、現代の位置から戦国時代を見ることを強調する。そのことが最終的に、我々が生きる現代を批評する眼となって差し返されるからである。ハチャメチャな中から顕在化する知的な企みが、本作を高みへと押し上げたのである。  義元(井村タカオ)は権力と名誉欲に憑かれ、絶対権力によって天下の統一を目指そうとする人物ではない。天下泰平を夢見る理想主義者として描かれる。しりあがりはそのような人柄の表れを、義元が1554年に甲斐の武田氏、相模の北条氏と結んだ甲相駿三国同盟に見る。この同盟を東海地方全域に広げれば、東海道と中山道をぐるりと輪を描くようにつなぐことができる。劇中で「東海流通共栄圏」と名付けられた広域の経済圏が築かれると、そこをそれぞれの国の特産物や人が自由に往来することが可能となる。一国で経済を完結させようとすれば、天候不順などで作物が不足した場合に立ちゆかなくなる。その打開策として、最悪の場合は隣国との戦争につながる。恒常的に互いが互いの足らざる部分を補い合うことで、流血をもたらす戦を回避できる。まるでTPPのような経済圏を作った義元の狙いはここにあった。義元は「東海流通共栄圏」を完成させるため、尾張を攻略する必要があったのだ。義元が射程におさめる泰平の世は、日本国内のしかも東海地方であった。だが信長(水谷悟)が目指す射程はもっと大きく、世界各国と対等に渡り合うことによる日本全体の泰平を意味していた。この泰平を巡る弐人の認識の差が、本作では重要な意味を持つ。

 義元の天下泰平の夢は、挫折するという悪夢となって彼を悩ませる。義元は連日の悪夢に襲われ、果ては信長に首を討ち取られる予知夢まで見てしまう(劇中、巨大な義元の人形が登場し、首が飛ぶシーンはスペクタクル的だった)。米をたくさん育ててそれを金に代え、そして多くの物品を買って民が豊かになること。武力に頼らない太平の世は、このような人間の在り方を、一国のみならず徐々に拡大させた時に実現される。これが義元の「東海流通共栄圏」思想であった。「文化的」に生きることを民にきちんと理解させ、忠実にその目的にまい進させる。切った張ったの世の中でそれを実現するには、義元自身の名声をより高めて、民から忠誠を尽くされねばならない。義元は「名声レベル」を上げようと努める。その努力はいつしか、ゲームの世界へと接続される。そのゲームは『信長の野望』(1983年〜、コーエーテクモゲームス)ならぬ「義元の野望」。義元はゲーム内でのキャラクターのステータスを上げることに躍起になる。子供の教育方針を巡る場面で義元は、子供に懸命に歌を詠ませ、蹴鞠をさせ、自身の思想に基いて文化レベルを上げようとする。しかし戦国時代を生き抜くには強い身体が必要だと主張する妻・定恵院(坂井香奈美)は、剣術を習わせて武力レベルを上げようとする。手元のコントローラーでボタンを連打する両親に振り回され、子どもがせわしなく道具を持ち代える様子が可笑しい。桶狭間の戦いに備えた軍議においても、敵がこちらに寝返ろうとしている時は指が光るとか、相手のパラメーターが画面の右上に出る、あるいは噴き出しのように内心が頭から出るから、相手の作戦が丸分かりだと義元は発言する。それを聞いた側近たちからは、義元が異常者になったと見られる始末。義元の現実はゲームの世界にすっかり侵食され、それをクリアすることだけに執着してしまうのだ。ここにおいて劇の幕開けが、布団を被ってゲームに没頭する男の光景だったことは意味深である。これは何を意味するのか。まずは、義元がゲームのように戦を考えているということが指摘できよう。戦を嫌う平和主義者の義元が、現代の引きこもりの男と重ね合わされているということだ。1991年の湾岸戦争時、ミサイルが飛び交う戦火の映像が、まるでテレビゲームのようだと指摘されたことを思い出す。見方によれば、ロケット花火が飛んでいるような暗視カメラの映像を受容することは、同時代の世界で今まさに起こっている事柄との距離の遠さを強調する。そのことが、戦争という現実の虚構化や非実在性を抱かせると共に、そのようにしか受容できない身体とは何なのか。身体感覚のリアリティのなさとしても語られたのではなかったか。



 では、本作は戦争のリアリティのなさを現代に重ねて描いた舞台だったのか。もちろんそうではない。むしろ、ゲームのように戦争を捉える感覚を徹底させ、そのまま突っ切ったところにこの舞台の真骨頂がある。そこに、ギャグ漫画家・しりあがり寿の独自性があり、ゲーム=現実世界の不条理なまでの徹底の果てに、現実への批評性が貌を出すのだ。本作を一段押し上げるのは、まさにこの点にある。劇にドライブ感を与えるのは、後半において信長もまたゲームをプレイしているという展開が見えてからだ。しかも信長は、義元よりも最新の攻略法を見出していた。義元は武力ではなく文化レベルを上げることが、この世界=ゲームをクリアする攻略法だと思っていた。しかし信長がプレイする最新の作品では、日本国内の小さな領主争いではなく、世界を視野に収める必要があった。そのことを表現するように、信長の陣にはクレオパトラ(竹本優希)やジャンヌダルク(橋口佳奈)といった世界の著名人と交流するシーンがある。子供の育て方を巡って妻とゲームのアプローチが違ったように、信長は世界を別の角度から捉え、その攻略法を見出していたのだ。義元がそんな信長に勝つためには、より最新の攻略法を見つけなければならない。義元はPCのアプリケーションを最新版にするごとく、ゲームのアップデートを試みる。しかし、99パーセントまではダウンロードできたものの、あと1%のところでフリーズしてしまう。それによって生じたバグの世界に義元は突入してしまう。バグの世界を抜け出そうと試みて、何度も義元は電脳空間からの着地を試みる。ところが突入した世界はことごとく、登場人物や場の状況がおかしな、バグが生じた世界である。パラレルワールドのような世界を、明転と暗転を繰り返しながらテンポ良く次々に切り返して見せるこのシーンは、本作のギャグ要素のハイライトだった。  義元は信長に首をはねられるという敗北の悪夢から何とか逃れようとして、ゲームの最新の攻略法を見出そうと奮闘した。それは、確定した自身の未来を何とか変えようとする必至の足掻きである。客演の井村(オペラシアターこんにゃく座)の演技がそのキャラクターに説得力を持たせる。ソフトながら確かな声量で歌を聞かせる一方で、いかにもお公家然とした優柔不断な義元を見事に造形した。そこからは、非武力による平和主義者として在ろうとする、貴族的な人間の悩みがにじみ出ていた。しかし運命は変えられなかった。先述したように、天下泰平という目指すゴールは同じでも、義元とは別の攻略法で世界を変えようとした信長に敗れる。井村が演じた義元像もあって、信長とラストシーンで対峙した時、私は義元=ハムレット、信長=フォーティンブラスに見えた。王家を巡る復讐譚に巻き込まれて最後に命を落とすハムレットは、ノルウェーの王子・フォーティンブラスに次のデンマーク国王の座を託す。その構図に、戦国時代における主役の交代が重なったからである。加えてこの覇者の交代劇は、現在に至るまで繰り返されてきたことに思い至らされる。時代が経るにつれて、天下泰平に至る攻略法は更新され続けてきた。と同時に、ソフトのインストールはいつも99%のところでフリーズし、失敗し続けてきた歴史でもあった。つまり天下泰平の解は21世紀の現在においても未だ見出せておらず、ソフトをアップデートしている途中なのだ。ここにおいて本作は、世界平和のために繰り返されてきた、攻略法のアップデートと失敗を巡る、人類の歴史を射程に収めることになった。ゲームのような混沌でかつ奇想天外な劇世界にリアリティを付与することで、現代に至るまでの歴史の重層性を想像させた。そして、いかに世界平和が困難であるかを、今を生きる我々を批評すると共に突きつけたのである。


2018-04-18 11:27 この記事だけ表示   |  コメント 0

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