昨12月4日、Space早稲田で流山児事務所「腰巻お仙・振袖火事の巻」(作:唐十郎、演出:小林七緒)を観た。役者として声を掛けられた年には芝居の感想を書くのは控えているが(今年3月、唐十郎・作、金守珍・演出、新宿梁山泊「少女都市からの呼び声」に出演)、この作品は僕の人生に多大なる影響を与えたので、あえて記すことにした。
1969年(昭和44年)1月3日。当時大学受験で正月休みもなかった僕にとって、翌4日の朝日新聞朝刊を見て驚いた。記事の詳細は忘れたが、社会面に写真入りで大きく取り上げられ、「東京のアングラ劇団が機動隊と衝突!」という内容の記事。そこでアングラ劇団という言葉を初めて知ったが、それが唐十郎率いる状況劇場だった事は後に知る。

紅テントを包囲する300名の機動隊。午後7時半頃。

自衛隊の制服を着た円谷芳一(唐十郎)。午後8時。

ラストシーン。テントの袖が開き、現実の機動隊を借景に取り込む。

観客を返した後、テントから出る座員たちを警官が取り囲む。8時45分。

逮捕される唐十郎。その後ろに麿赤児と四谷シモン。

李礼仙(現・李麗仙)逮捕。

テントをたたむ。午後8時50分。

トラックにて去る。午後9時15分。
その前年の10月21日、国際反戦デーの火炎瓶闘争で新宿が火の海と化し、甲府から受験のために向かう新宿駅がいつ再び火の海になるか戦々恐々としていた矢先の出来事。しかも1月19日になると東大安田講堂が陥落し、東大をはじめとする国立大学の一部の入試が中止と発表され、受験校も限られる事となった。2月中旬に受験を終え、帰りしなに新宿文化で観た映画が大島渚の「新宿泥棒日記」。新宿紀伊国屋書店で本を万引きした青年(横尾忠則)が女店員(横山リエ)に追いかけられて逃げ込んだ先が、新宿花園神社で「由比正雪」の公演(68年3月〜5月)を打つ状況劇場の紅テント。そこで初めて機動隊と衝突したのが状況劇場だと知り、理系の人間には理解不能なアングラ劇なるものに興味を抱いた。その花園神社を追われる事となった状況劇場は「さらば花園!」と題し、「新宿みたけりゃ 今見ておきゃれ じきに新宿 原になる」という68年10月の新宿騒乱を予兆するかのような唐の捨て台詞を残し、向かった先が新宿西口公園でのゲリラ公演。 大学に入学したものの入学式粉砕を叫ぶ学生たちにより入学式もなく、しばらくして全学ストに突入して授業のない日々が続いた。入試や入学式を粉砕した学生たちには恨みを抱いていたので彼らとは一線を引き、映画や芝居、そして酒場に通う日々が続いた。そんな折、その年の10月に早稲田小劇場で「少女仮面」が上演され、白石加代子と吉行和子の演技もさることながら、唐十郎が早稲田小劇場のために書き下ろした戯曲に胸を射抜かれた。一刻も早く状況劇場の芝居を見たいと思っていたら、12月に渋谷の金王八幡宮で「少女都市」の公演があった。初日か2日目に初めて状況劇場の生の芝居を観たが、魑魅魍魎の役者たちに度肝を抜かれ、唐の詩的で猥雑で文学的な台詞の数々にまたしても魅了された。そして数日後の新聞を見ると、天井桟敷から送られた葬式用の花輪が気に入らないと、劇団員が天井桟敷を襲って大乱闘となり、唐十郎と寺山修司が留置所に収監される始末。以来、ゴールデン街で高下駄で竹刀を持った革ジャンスキンヘッドの用心棒(篠原勝之)を従えた唐十郎一派に会うたび、喧嘩を吹っかけられるのではないかと戦々恐々として酒を飲んでいた。そんな近寄りがたい連中であったが、芝居は別物。「吸血鬼」「少女仮面」「あれからのジョンシルバー」と立て続けに状況劇場の芝居を見続け、72年5月に上野の不忍池水上音楽堂で観た「二都物語」で完全に魂を奪われた。その衝撃は大学4年の僕にとって、卒業後の進路を決定する要因の一つとなった。論理的思考が及ばぬ非論理の世界。科学では推し量れぬ非科学の世界。日常から脱した非日常の世界。現実を飛び越えた非現実の世界。唐十郎と一族郎党が織りなす世界は、まさに百花楼蘭。応用数学の世界からコペルニクス的転回をして映像の世界に入った僕は、テレビドラマの演出助手を経てディレクターとなったが、一旦ドラマから離れ、TBS(CBC)の「素晴らしき仲間」というカルチャー番組で状況劇場の関係者たち(根津甚八・小林薫・四谷シモン・篠原勝之・嵐山光三郎・村松友覗)に出演してもらったり、芥川賞受賞作「佐川君からの手紙」の映画化を大島渚氏が断念したのでそれを引き継いで監督する予定だったが制作途中で中断したり、状況劇場から唐組となってからはNHKの芸術劇場で「ジャガーの眼」「電子城」「セルロイドの乳首」「透明人間」等の舞台収録をしたり、唐十郎との個人的付き合いも深まっていった。それ故、唐十郎と劇団状況劇場の名を知るきっかけとなったこの「腰巻お仙・振袖火事の巻」は、僕にとっては因縁深い作品である。
2016年10月、中野敦之率いる唐ゼミが新宿西口公園で公演したのに続き、この作品を観るのは2度目となるが、今回は50年前の初演の際にも出演していた伝説の怪優・大久保鷹、状況劇場晩年の作品「黄金バット」(1981)に出演していた中原和宏に加え、成田浬らの実力派メンバーが脇を固め、唐ゼミの公演にも増して俳優陣の健闘が光る。少女を演じる山丸りなも可憐な中に狂気を忍ばせ、これからが楽しみな女優の一人だ。
紗幕に投影された1960年代のニュース映像をバックに下手から大久保鷹が登場し、上手に佇む少女にこの作品が上演された1969年(昭和44年)1月3日の出来事を語る。幕が開くと、少女・片桐仙子(山丸りな/李礼仙)がソロバン塾の片隅でソロバンをはじいている。彼女は爺に拾われ育てられた中学3年生。彼女に恋心を抱く幼馴染の円谷芳一(祁答院雄貴/唐十郎)は、仙子から仙台に子供を残してきたと聞き愕然とする。仙子を拾った爺(大久保鷹/古知彬)は駄菓子屋を営むが中気を患って半身不随となり、仙子に面倒を見させている。床屋を営む芳一の父(中原和宏/大久保鷹)は、元戦艦大和の乗組員。そんな親子たちの周囲には怪しげな人物たちが集う。毎日床屋に通うポン引きの伊達男(眞藤ヒロシ/不破万作)。袋小路精神病院の医院長にして元戦艦大和の艦長でありソロバン塾の先生でもあるドクター袋小路(伊東俊彦/麿赤児)。精神病院の看護婦で円谷幸吉の遺書にしびれるアキ(原田理央/藤原マキ)。パンパンガールに扮して米兵を虜にし、反米をつらぬく看護婦のマキ(星美咲/富岡真紀子)。新宿西口で春を売り、亡くなったウドン好きの弟を偲ぶ西口おつた(江口翔平/四谷シモン)。母が吹く笛を探し求める、明智小五郎と名のる堕胎児たち(成田浬・勝俣美秋・佐野陽一/天竺五郎・田和耶)・・・。 自衛隊に志願した芳一は仙子との叶わぬ恋に破れ、世界のどこかで起きた戦争に出兵する事となる。(登場人物/の後は、初演時の出演者名)。暗示的な、この戯曲のラストを転写する。
花道の入口より、自衛隊の制服を着た芳一現れる。バックを手にしている。 芳一 さよなら、お仙。 お仙 おまえの父さまは死んだぞ。 芳一 知ってるよ、さよなら、お仙。 お仙 そんなかっこうでどこへ行く。ヤクザ稼業は止めたのか? 芳一 戦争に行くんだよ。 お仙 おお、戦さか、どこでやっとる? 芳一 知らねえよ。でも戦争に行くんだ俺。 お仙 死ぬなよ。 芳一 わからねえよ俺。 お仙 (急に芳一の腕を抱き込んで)帰ってこい。 芳一 俺は人でなしだぜ。 お仙 帰って来い。そしたら、この町にバラック建てて一緒に暮らそう。 芳一 どこで? お仙 (テントの向こうの新宿を指して)あの、あの新宿で!! 二人、架空の焼野原をじっと見ている。 お仙 (笛に口をあてる) ー幕ー
とあるが、冒頭同様、舞台から劇場の外へと立ち去る少女・お仙を見送る大久保鷹に映像が被さり暗転となる。
ラストの台詞は集団的自衛権を強行採決し、自衛隊を南スーダンに派遣して戦闘行為を容認し、憲法9条を改悪して戦争へと突き進む今と重なり、胸を締め付けられると同時に怒りが再燃し、安倍晋三を葬れない現状に苛立ちを覚えた。しかし 50年前に唐十郎が2018年の状況を予感していたとは、状況劇場という劇団名と共に、その先見性に改めて驚愕する。しかも1968年1月8日、マラソン選手で自衛隊員の円谷幸吉が「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。(中略)父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒 お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」と遺書を残して自殺した事件を戯曲に取り込み、国家が個人に課す計り知れぬ重圧を描いたことは、2020年の東京オリンピックの後にも同様な事件が起こるであろう事を予感させる。またこの作品の随所にその後の唐戯曲のモチーフとなるテーマが隠されているのも興味深い。 母と息子の近親相姦関係。少女と堕胎児。狂気の医者。戦争の爪痕。愛の床屋・・・。 老人たちの「何てじめじめした陽気だろう・・・」の台詞もこの戯曲から来ていたのか? そして唐が宴会の度に歌っていた「さすらいの唱」も、この芝居のための曲だった。
「ある夕方のこと 風が俺らに伝えたさ この町の果てで あの子が 死にかけていると 俺は走った 呼んでみたさ だけど 俺を呼ぶ声はなかったさ ある夜のこと 風が俺らに伝えたさ この町の果てで 死んだ子がいると 俺は走った 呼んでみたさ だけど 俺を待つ墓はなかったさ それからある時 風が俺らに伝えたさ この町の果てで あの子が俺を呼んでると 俺は走らぬ 言ってやったさ それは 俺の声だと(それは 風のいたずらだと)」(作詞・唐十郎、作曲・小室等)。
「さすらいの唄」や四谷シモンの「けつねうどんの唄」も、曲調が変わったので違和感がある。テーマ曲を聞くとそのシーンが蘇る映画音楽と同じく、劇中歌の作詞作曲も脚本の 一部であると何故考えないのか?曲を変えるのなら、何故歌詞も変えないのか?ジョンシルバーの「よいこらさ」、少女仮面の「時はゆくゆく」、少女都市の「氷いちごの唄」、風の又三郎の「風の又三郎」など、唐の戯曲と劇中歌は切っても切れない関係にあるのに、小林七緒の演出が素晴らしかっただけに残念でならない。
余談だが、1969年1月3日の客席に流山児祥がいた事は驚きに値する。氏によると1968年の花園神社公演「由比正雪」の時に状況劇場の研究生となったが、当時まだ学生だった流山児は、唐から「芝居を取るか、デモを取るか」と問われ、青学全共闘の流山児はデモを取って劇団を首になったと聞く。それから40年経った2008年8月、流山児事務所創立25周年企画の第一弾が、本多劇場での因縁の「由比正雪」。初日乾杯の席で唐が流山児にプレゼントとして万年筆を渡すと、万感籠った流山児の目に涙が光っていた。流山児事務所は向う3年間、唐作品を上演し続けるそうだが、次回は「由比正雪」と聞く。2012年5月、唐十郎は転倒して脳挫傷を負い、以後、演出や新作を書くことができなくなった。タイトルとなる「腰巻お仙」の「仙」は、唐の片腕であり愛妻でもあった李礼仙から名付けたものであり、その李麗仙もまた唐組の久保井研らが起こした著作権裁判等の心痛で病に倒れ、再起が危ぶまれている。そんな中、流山児事務所や唐ゼミ、そして唐十郎の一番弟子である金守珍の新宿梁山泊が唐作品を上演し続けることは、唐や李にとっても大いに励みになり、我々唐ファンにとっても大いなる楽しみである。次回作が待ち遠しい。(文中敬称略。唐ゼミの感想の一部を加筆修正して、再度掲載)
流山児事務所「腰巻お仙・振袖火事の巻」。公演は16日(日)まで。 お勧めの一作です。
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