★流山児祥演出バージョン〜
流山児さんのパワー炸裂、めちゃくちゃ面白い舞台でした。
彼の演出は緩みがないと言いますか、キャラクターそれぞれのエネルギーがほとばしるがままにして、妙に「まとめ」たりせず、高圧の状態を保ちながら、幕切れをも突破して行きそうな幕切れに持って行くところが素晴らしいです。
以前のヴァージョンを観ていないし、今回の西沢ヴァージョンも観ていませんから、比較はできませんし、よしんば観ていたとしても、比較などという「見巧者」「劇通」「批評家」っぽい視点でものを言いたいとは思いません。ぼくにとっては、自分が実際に身を置いたその都度の劇場空間がすべてです。記憶などは邪魔物です。
実際に観ていれば記憶は残り、否が応でも比較してしまうと思いますが、身のうちに余計な要素がなくてよかったと思っています。
ただ、昔何かで読んだ話に、70年ぐらい前のカリフォルニア、それもサン・クウェンティンという刑務所で、ベケットの『ゴドーを待ちながら』が上演されたとき、収監されている囚人たちは、たちどころにこの「不条理劇」を理解した、というエピソードを思い出しました。
シャバは広く、深く、ごった煮のように「異種」の人生ーー思惑や欲情や裏切りやバカな失敗や夢やツッパリ、その他もろもろーー含んでいる。流山児さんのシャバ肯定感は白熱の熱さですね。ごった煮をまるごと肯定するところからしか(演劇)文化は生まれないだろうということなのですね。