演劇が人に与える力。改めて感じたのが『青ひげ公の城』(寺山修司:作 流山児祥:演出)
流山児★事務所の代表作の1本であり、わたしも過去に観ているが、今回のパワーは圧倒的だった。
「構成を変え、全くの「新作」ミュージカルとして」創りあげた、とパンフレットにあったが、寺山の原作を大きく変えてはいない。
観客はまず中池袋公園に集り、台詞の書かれた紙を配られ、『青ひげ公の城』のオーディションに参加することになる。寺山の戯曲通りのオープニングが舞台上で演じられる。トランクを提げた少女(美加理)が、舞台監督(大久保鷹)に「誰、あんた?」と聞かれ「誰でもありません、まだ」と答える、おなじみのシーン。観客の私はオーディションに落ちてしまった人として羨望を込め、自分たちの代表として美加理を見詰めることになる。
バルトークのオペラと違い、寺山の芝居には青ひげ公は一切現れない。不在の主役をめぐる人々が、役者も裏方も、舞台や楽屋で右往左往する。そしてもう一つ。少女はかつてこの劇場で照明係をしていた兄を探す目的を持っている。消えてしまった兄は、寺山独特の仕掛けだ。
古びた豊島公会堂(まもなく建て替えとなる)の役者も、裏方も、客席の私、も「主役不在の劇」で右往左往させられるうち、これはこのまま「私の日々の生活だ」、と思い知る。
そんな私を、美加理のせりふが、まるで歌のようにやさしく包む。1979年、寺山自身の演出での本作がデビューの彼女、もう何度も演じてきた少女役。しかし今回は、まさにこの世のものとも思われない美しさ、透明感。「わたしはひとりしかいないのに、台本はいく通りもあります」「月よりも、もっと遠い場所・・それは劇場!」 他に、第五の妻役の毬谷友子の歌と演技には見惚れるばかりだった。