昨夜は流山児★事務所「代代孫孫」(作=パク・クニョン、訳=洪明花、演出=シライケイタ)。これが滅法面白かった。韓国現代演劇の第一線で活躍するパクが2000年に発表した異色の家族劇。現代から日帝占領時代に遡る四代の一家の来し方をコミカルに描いていく。
演出のシライは、この戯曲を今の日本で上演するに当たり、作家の許可を得た上で韓国と日本を入れ替えるという暴挙≠ノ出た。これにより、日本がかつて韓国に占領され、集団自衛権の名の下にベトナム戦争に参戦し、今も南北の分断に苦しんでいるというパラレルワールドが捏造されることになった。
この知的ゲームが何とも刺激的だ。ベトナムでゲリラ狩りに荷担させられた先々代の父(阪本篤)のトラウマは自衛隊の未来を予測させ、脱北者へ注がれる興味本位の視線は、高線量地域からの自主避難者への無理解にも重なる。また、日中戦争終了後も韓国に残った先々々代の父(里美和彦)が、韓国人娼婦(山丸りな)に惚れるエピソードでは、一瞬日韓の狭間に宙吊りにされたような混乱に陥る。朝鮮に残ったといことは原作では日本に残ったということで、そんな韓国人が日本人娼婦に惚れる……。頭の中で翻訳している内にクラクラしてきて、日本と韓国の境目がグニャリと溶け出してくる。
これこそが、この暴挙≠フ真の狙いではないだろうか。日韓を逆転させたのなら、もっと日本の加害性に踏み込むべきだという声もあるようだが、それでは一種のステレオタイプになってしまい、観客を安心させてしまう。そんな怠惰を観客に許さず、宙吊りの状態で日韓の関係を手探りさせることが作り手の不遜な企みのような気がする。それに、日本の加害性は元の戯曲にもしっかり書き込まれている。先々々々の父(近藤弐吉)の哀しすぎて笑うしかない境遇はそれを物語って余りある、と言えないだろうか。
パクの戯曲の企みの深さは他にもある。タイトルにあるようにこの物語は一見、儒教的な「家」の存続の大切さを描いているように見える。ところが、実際に展開する家族の実態といったら。こんなものを有り難がる伝統や道徳や建前を実は笑い飛ばしているとしか思えない。そのしたたかさにニヤリとさせられる。
それにしても、先だっての「トンマッコルへようこそ」といいこの「代代孫孫」といい、韓国現代演劇の面白さには舌を巻く。そりゃ、面白いものが選ばれて日本で上演されているのだから当たり前といえば当たり前なのだが、取り分け感心するのはその活力、バイタリティーだ。あっけらかんとしたエロスや下ネタを交えた、いかにも人間くさく、それでいて社会性を忘れない骨太のドラマ。そこには人間性に対する揺らぎのない信頼と肯定があるように見える。韓国現代戯曲にも色んなものがあるのだろうが、コミュニケーション不全の病っぽい芝居を見慣れた目には妙に眩しく見えた。(敬称略)