なんと若者達が躍動する沖縄のヤクザ抗争から舞台は始まった――詩森ろば作・演出「OKINAWA1972」
図書新聞No.3281 ・ 2016年12月03日号
劇団・流山児★事務所の本拠地で行われたSpace早稲田演劇フェスティバル2016で、詩森ろば作・演出「OKINAWA1972」を観た。1972年といや沖縄返還の年。それを今どの様に扱うのかと思っていたが、やった! なんと若者達が躍動する沖縄のヤクザ抗争から舞台は始まったのだ。
そして沖縄ヤクザの歴史がコミカルに展開される。沖縄には戦前、日本本土の様なヤクザはいなかった。米軍占領下、沖縄の人々は収容所に収容され、若者の一部は生きるため米軍物資を掠め取った。これを戦果アギャーと言い、彼らが沖縄ヤクザの萌芽となる。彼らの中から、後に基地周辺のバー街を米兵の暴力から守る用心棒となり、嘉手納基地のあるコザを中心とした集団を形成、コザ派と称された。また、那覇の路上賭博などの用心棒を空手道場の若者達が担い、那覇派を形成した。この二派が分派抗争を繰り返し、60年代後半に、又吉スター(劇中は知念)を中心とする那覇派と新城ミン夕ミー(劇中は比嘉)を中心とする山原派(元コザ派)に収斂されていった。この辺りオイラ故・竹中労さんから当時聞いてたからワクワクする。
一方、日本政府の佐藤栄作首相(なんと流山児祥が演じ歌まで歌う)は沖縄返還交渉に若泉特使を派遣、非核三原則を盾に核抜き本土並み返還を求めるが、アメリカに押し切られ、有時の通告による核の持ち込み、返還移転費用の負担を沖縄返還協定の「密約」として結ぶことになる。すなわち返還後も沖縄の基地は米軍が自由に使用できることとなったのだ。返還の時点から沖縄は日本に裏切られていくことになる。
ヤクザの抗争と沖縄返還交渉、この二つを軸として舞台は緊張感のある展開をしていく。そのバックには同時代のロックやR&Bが随所に流れるのが嬉しい。沖縄返還を前に、本土ヤクザの侵攻を阻止するため、70年12月、那覇派と山原派は合同して旭琉会(舞台では会名決定で昇竜会と墨書されるが、旭琉会と書いて欲しかった)を結成。同月、コザ暴勤。旧山原派はこぞって参加したと伝えられ、舞台でも迫力のあるシーンの一つとなっていた。
72年5月15日沖縄返還。73年2月コザでジェームス・ブラウン・コンサー卜を労さんたちと行えたのも、旭琉会の安定の故。74年に内部対立で上原(劇中は金城)組脱退、リンチ事件、劇の主人公である日比混血の組員によってミンタミー射殺、翌年スター射殺、旭琉会は二大巨頭を失い、本土山口組を巻き込んで抗争激化。沖縄返還による本土系列化に、最後まで抵抗したのはヤクザだったとさえ言われている。沖縄のヤクザ社会を抜きに沖縄の問題を捉えてはならないのだ。