公演情報

シアターRAKU 2025
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原作:W・シェイクスピア
台本:山元清多
演出/流山児祥
音楽/高橋牧(時々自動)
振付/北村真実(mami dance space)



 ご予約はこちら

2025/05/05 (月)〜17 (土)

@Space早稲田

 


■予約はお早めに



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==DVD発売中==


こちらから


『冥王星の使者』



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**********

 

 

作⦿高取英
(月蝕歌劇団)

脚本・演出協力⦿天野天街
(少年王者舘)

演出⦿流山児祥

音楽⦿巻上公一
(ヒカシュー)

人形製作⦿山田俊彦
(人形劇団ココン/ITOプロジェクト)
 

 

流山児★事務所
2023年度 新人募集
劇団で活動することに興味がある人を募集します。

【募集人員】
6名 (俳優・スタッフ・制作)
18歳以上35歳未満。
国籍不問。心身ともに健康な男女

【第一次審査:書類選考】
以下を流山児★事務所まで郵送してください。
(1)履歴書(連絡のつく電話番号とメールアドレスを記載のこと)
(2)写真1点(バストアップ)
(3)作文「流山児★事務所に入団してやりたいこと」(400字程度)


【第二次審査:実技・面接】
書類選考通過者のみ、連絡いたします。
※実技審査料3,000円は当日持参のこと。
※スタッフ・制作は面接のみ(無料)です。

【入団後の活動】
流山児★事務所の活動に準じていただきます。
優秀な新人は劇団公演、海外公演などに参加できます。

【お問合せ・応募先】
流山児★事務所 新人募集係
〒162-0045 東京都新宿区馬場下町60番地 まんしょん早稲田307
TEL:03-5272-1785(平日13時〜17時)
E-MAIL:mail@ryuzanji.com

情報詳細
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続々オールド・バンチ〜カルメン戦場に帰る〜 DVD
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今年の「上半期演劇界の収穫」に「さらば、豚」が選出されている。そして。「テアトロ」「悲劇喜劇」に劇評も。以下の如く。

演劇雑誌「悲劇喜劇」9月号 「2012年上半期演劇界の収穫」 江森盛夫
 流山児☆事務所「さらば、豚」(作:東憲司、演出:流山児祥)ザ・スズナリ。九州の炭鉱町の話だ。石炭の余沢でしのいでいたヤクザも廃坑で、いまやシノギは養豚稼業。その豚が廃坑の迷路に逃げ込んだ。豚を追ったヤクザも閉じ込められて、どこかから聞こえてきたのは炭坑節だ。筑豊の作家上野英信が、炭坑節は明るい盆踊りの民謡などではなく、九州の虐げられた日本・在日の民衆、アウトローの「黒人霊歌」だとした。不吉な弔い歌なのだ。当時の炭労副委員長の息子:流山児が歌う暗い炭坑節は、戦後史の深部を垣間見させた。

演劇雑誌「テアトロ」2012年8月号劇評 「個の生き方と集団表象」田之倉稔
流山児★事務所の『さらば、豚』(作:東憲司、演出:流山児祥)。クラッシク音楽からロックに変わったよう。舞台でスピーディーに交わされる怒号、卑語、方言のまじる台詞に理解が届かないので、台本を読んだ。表紙のエピグラフにこうある。「…‥いつかどこかの…‥かつて炭鉱だった町…‥その町の養豚場の…‥地下にある……潰れた炭鉱での…‥寓話……」。これを読んであるヤクザのせりふ「夢落ちなんかで終わらせねえ」の意味が分かる。スペイン演劇風の「ああ、夢だったのか」で終わる話にならない。炭鉱=閉ざされた世界から青空の広がる外界へと脱出し、自由の大地へと向かうというヤクザの決意が表明される。『さらば、豚』は底辺の人間をも抑圧するあらゆる束縛からの解放を謳う。この物語は二つのヤクザ組織、桜組(5人)と梅組(4人)の抗争が主筋。両方の組員の世話する豚が養豚場から消える。豚を追って迷い込んだのが炭鉱の閉じられた空間。そこに一人の老人、「狼と呼ばれる老兵」が出現する。本多一夫演じるこの人がエニグマティック。炭鉱とは被差別者ばかりでなく「…‥軍国主義、資本主義の生蟄が眠る穴ぐら」。老人とは過去の幻影なのだ。そのほか「豚の見る夢」や「炭坑節」の意味があかされてゆく。炭鉱問題に詳しい作者と演出家ではないと構想も形象化もできない快作だ。
 
演劇雑誌「悲劇喜劇」9月号「演劇時評」 岩佐壮四郎(近代文学)×小山内伸(朝日新聞)
編集部 次に、流山児★事務所「さらば、豚」東憲司さんの書き下ろしです。

岩佐 落盤事故で、シマにしている炭鉱が閉鎖して養豚業に転じている、暴力団の梅組と桜組。その養豚場から豚が姿を消してしまう。二つの組は、鉱山会社の下請けとして張り合っていたのですが、豚が突然消滅する事件をめぐって二つの組の対立が再燃し、忌まわしい落盤事故の記憶が甦るという話です。人間の食欲を満足させるため徹底的な管理の元に飼育される豚を、人間になぞらえるというのはそう珍しくない。私などは学生時代に観た今村昌平の「豚と軍艦」(1961年)という映画を思い出しますが、ここでも豚のおかれた状況と管理社会における人間たちの状況を重ね合わせるように表現しています。映画は横須賀が舞台で、実質的な植民地としてアメリカの支配下にある日本人の姿に光をあてていましたが、この劇では、それだけではなく一種の人肉食にまで視界に収めている。

小山内 劇中に「人間を食った豚は意志を持ち、夢をみる」という台詞が出てきます。カニバリズムも出てくる。だから人間をあたかも養豚場の豚のように描くという狙いでしょう。東憲司さんと流山児祥さんは初めての組み合わせですが、アングラ的な活力を帯びている点で両者は相性がいい‥劇中で、12年前に炭坑節を歌ったら落盤事故が起きた過去が語られ、若い衆はそれを知らないのでまさかと言いますが、実際に同じことが繰り返されます。ただし、その凄惨な事件が再現されるだけで、意外性はない。

岩佐 我々は豚を殺してトンカツやとん汁にしたり、牛を殺してステーキや牛井にして食べている。では豚や牛が、人間を殺して人間のカツや人間井をしてはいけないのか。人間は豚を殺していいけれど豚は人間を殺してはいけないと正統化する根拠は実はどこにもない。これは、究極には誰も答えることのできなかった問いで、その意味ではこの舞台が向き合ったのはとても重い主題です。人肉食は武田泰淳『ひかりごけ』や大岡昇平『野火』 など、戦後文学が追求したテーマで、舞台では例えば『ひかりごけ』は初期の劇団四季が取り上げ、『野火』は数年前に俳優座が鐘下辰男脚本・演出で舞台化に挑みましたが、この戦後文学的なテーマに、東・流山児のコンビは正面から向き合おうとしている。束の脚本はやや一本調子で、男達の怒号に終始する舞台に二時間近く観客の関心を集中させるにはかなりの力技を要しますが、流山児の演出は脚本の持つ北九州の炭鉱地帯である川筋の言葉をベースにしたヤクザ言葉の魅力を活かし、笑いやダンスを挟みながら、二時間近く退屈させない。もともと、修羅場というか鉄火場を得意とする流山児ですが、「豚野郎」 「汚い」「臭い」 「死んじまえ」などのドスのきいた怒号が逆巻くなかに豚の悲鳴も混じって、迫力のある舞台となっていました。

小山内 演技には熱いエネルギーを感じました。この炭鉱の名前は「よろずみ」。「よろず」と「黄泉」を掛け合わせた命名ではないかと思います。炭坑節が歌われるシーンで本多一夫さん演じる日本兵の亡霊が出てきます。迷宮の中の悪夢として描くために昔からの怨念みたいなものを放り込む必要があって、戦時中のもの(兵隊)を出したのでしょうが、この必然がわからない。因縁ならばむしろ、強制連行された朝鮮人を出したほうが腑に落ちるように思います。

岩佐 もちろん、強制連行された人の怨念も渦巻いてはいるでしょうが、ここはやはり日本兵でしょう。日本の役者は軍服を、特に日本軍の服を着ると誰でも似合うといいますが、とくに本多さんぐらいの年配の、戟前生まれの人が軍服を着て登場すると、それなりに存在感もありますね。映画「豚と軍艦」では、長門裕之のチンピラが水洗便器に首を突っ込んで死んでいく場面が印象的でしたが、この舞台では仲間が一人ひとり穴蔵に吸い込まれていって、最後にひとりだけ残された兄貴分がまっ青な空の記憶を語るラストシーンも鮮やか。舞台装置は島次郎で、オープニングの豚の解体現場風の装置が、エンディングでは、福島原発の建屋の残骸を思わせる装置に変わってしまっているのもアザトサを感じさせない。

小山内 炭坑内なのに窓がある美術がおもしろかったですね。

岩佐 若杉宏二や、佃典彦、塩野谷正幸、イワヲ、保村大和などのベテランと、丸山厚人など個性的な若手の組み合わせもこういう暴力劇を演ずるにはふさわしく、流山児★事務所の快作だったのではないかと思います。
月町1丁目1番地

下北沢スズナリで流山児☆事務所の「さらば、豚」を観る。
閉ざされた空間で生命の危機にさらされながら男たちの夢と現実がぶつかり合う、アングラ臭立ちこめる舞台だった。男度100%の芝居は流山児☆事務所の得意とする分野だが、男の弱さと哀しさがにじんでいて、しかもエンタメなところが魅力的だ。
・・・・
男が一人、九州の廃坑となった炭鉱の中で語り始める。「全ては3日前に始まった…」
彼は桜組の下っ端ヤクザの郷屋(ごうや・若杉宏二)。炭鉱が無くなって今やヤクザの収入源は豚を飼うことだ。上からの命令でもう5年も仲間と豚の世話をしている。その66頭の豚が、ある日突然姿を消した。
これはやはり豚を飼っていて、敵対する梅組の連中に違いないと考えた郷屋たち5人は、唯一考えられる場所、12年前の忌まわしい廃坑へと豚を探しに行く。しかしそこで彼らを待ち受けていたのは、同じように忽然と消えた豚を探しに来た梅組のヤクザ達4人だった…。

炭鉱の中で「炭坑節」を歌うと必ず落盤事故が起きるという言い伝えが効いている。
武器を持たなければ不安、誰も信用しない、生き残るためには平気で裏切るというヤクザの習性が、閉ざされた空間の中で疑心暗鬼を増幅させていく。その結果恐怖にかられたヤクザ達は次々と殺し合い、生き残った者はある選択を迫られる。

上手と下手にひとつずつ、2方に伸びる細い坑道がその先にあるものを想像させて不気味。
照明の変化で時間と、夢と現実の境界を行き来するところも素晴らしい。

若杉宏二さん演じる郷屋が登場人物を紹介し、状況解説もはさむのだがこれがとても判り易く、ヤクザの個性やその後の行動を納得するのに助けになった。似たような強面のヤクザにもバックグラウンドがあり、それぞれの死にざまにつながるから情報は大事だ。

今回の塩野谷さんは信用金庫の経理担当者からヤクザに転職した変わり種を演じた。これが、性根がヤクザなのは実はこの経理マンではないかという行動に出る。びくびくしていたくせに狂気に走るところは、やはり塩野谷さんらしさ全開。ダンスの時つい注目して笑ってしまってすみません(笑)

狼と呼ばれる老兵(本多一夫)が彼らに武器を与え、殺し合いをさせたり「炭坑節」を歌って落盤事故を引き起こすように仕向けたり幻のような存在ながらヤクザ達を操るというのも、因果応報を感じさせて存在感あり。
いつの世にも時代と組織に翻弄される男たちの姿は同じ、足を洗って別の生き方をしたいと願いながらまた1日が過ぎて行くのも同じだ。家族の気配薄く、夢ばかり食べている孤独なヤクザが近しく思えてくる。

郷屋は結局死んだのか、生き残ったのか・・・?
あの“落盤事故の時に空を見るための窓”は永遠に開かないだろう。ヤクザの窓は黒い闇を映すだけだ。
「豚も夢をみる」と老兵は言って消えた。「人はもっと夢をみる」だろう。
その哀しみが強く残る舞台だった。

男って大変だ。これが女だったらどうなっただろう。同じように殺し合うんだろうか?もっと残酷か…。
ふと、そんなことを考えた。ディープでアングラなファンタジーをありがとう。

 BLOG OF SAKATE BY坂手洋二
夜はスズナリで流山児★事務所『さらば、豚』。最後列に案内されたのは観やすい席だしいいのだが、左隣に作家の東憲司君、その向こう隣に舞台美術の島次郎さん、右隣に座ったのが照明の沖野隆一さん、その向こう隣に演出の流山児祥氏、という、「なんで?!」というスペシャル席での観劇であった。スズナリを知り尽くしたスタッフによる劇場空間の創出。佃典彦君が俳優としてチャーミングなのが愉快。
「高取英の日記」
流山児事務所の「さらば、豚」を見た。男しか出てこない。ヤクザと炭鉱の話。豚はわたしか、わたしが豚か?「ドグラ・マグラ」のような匂いもさせながら、落盤で閉じこめられたヤクザの抗争もある。謎の人物は本多一夫さんが。炭鉱節を坑内で歌うと落盤が起きるといいながら、迷信だよ、しかし、起きる。彼は、狼と呼ばれる帝国陸軍の亡霊。
ヤクザの主人公は、仲間を裏切ったのか、裏切ってないのか、明白ではない。謎は謎のまま終わる。展開は早く飽きさせない。
 タランティーノの「レザボア・ドッグス」だよ、と流山児さん。 深刻な話だが、そうならず、楽しませる。役者がそろって、元気がいいからか。笑いがちりばませてあるからか。
 配られたあいさつ文に、炭鉱節が現在なおもっともきびしい差別にあえいでいる人々の遺産であり、と上野英信の言葉が掲載。 様々な解釈が出来る芝居。

今村修FACEBOOK
「なんちゅう、ドグラマグラんこつ芝居じゃろかい!」。一昨日、流山児☆事務所「さらば、豚」を観終わって、思わず口をついた変な博多弁。「桟敷童子」を率いる東憲司の書き下ろし、アングラ第二世代の生き残り・流山児祥の演出、舞台は筑豊の廃鉱となれば、アングラ、情念、夢野久作……というのは自然な連想だろうが、それにしてもな舞台だ。エネルギー革命で人々が去った旧産炭地。かつてスト破りで勇名を馳せたヤクザの下っ端たちも、今は逃げた養豚業者たちが残した豚の面倒を見る毎日だ。ある日その豚たちが一斉に居なくなった。対立する組みの仕業と見たチンピラたちは、豚の隠し場所と目される旧坑道に向かう。そこに落盤。閉じ込められた彼らの耳に、忌まわしい弔いの歌が響く……。主人公の郷屋(若杉宏二)は豚にも劣る今の境遇から抜け出すことをひたすら夢み、「俺は豚じゃない」と繰り返す。だがその言葉が吐かれる度に彼の輪郭はにじみ、これが現...実なのか、夢なのか、はたまた人間だと思い込んだ豚の見る妄想なのか、分からなくなってくる。演出もドラマの緊張をあえて台無しにする、突然の解説や歌、踊りなどブレヒト的異化効果もてんこ盛りで、一種のアングラのパロディーを作り手たちが楽しんでいる。〈中略)豚の化身でもある郷屋たちが現実の彼岸に見るのが、豚肉も饗するであろう「レストラン経営」という無残な皮肉も効いている。〈後略〉

TWITTER評より。
BY GOYADAJAPAN
流山児★事務所の『さらば、豚』@スズナリを観てきた。内臓えぐられる様な芝居だった。アングラ演劇がどういうものかまだ理解仕切れてないけど、この劇団のお陰で確実に魅力されている。どの役者さんもレベル高すぎ。発する台詞が身体にバシバシきた!

BYオカヨウ
流山児★事務所の『さらば、豚』@スズナリを観てきた。内臓えぐられる様な芝居だった。アングラ演劇がどういうものかまだ理解仕切れてないけど、この劇団のお陰で確実に魅力されている。どの役者さんもレベル高すぎ。発する台詞が身体にバシバシきた!

BYまりえ
昨日は流山児★事務所の「さらば、豚」を観てきました。ガツガツゴツゴツした、アングラ男芝居!!かっこよかったー。

BYフジタアキマサ
流山児★事務所 「さらば、豚」@スズナリが、おもしろかった。アングラになるのだろうけど、わけがわからないドロドロしたのではなく、わけがわからんけど哀愁ただよう、どうしようもなく魅力的な男ばかりの作品。あの、雰囲気が、出演者が大好き。

「CORICH」評より BY形状不明
役者の本気を300%浴びる気持ちのいい舞台。
空気は古いが、それでもいい。舞台上でも開き直って「公言」している。
今、これだけの本気を観客の五体にたたきつけるが如く発してくれる役者にいっぺんに9人も会えるなんて素晴らしい。ストーリーがとか、演出がとか、そういうことが全く問題にならない作品。

「俺は豚じゃねえ!」ですからね。「俺は豚じゃねえ」連呼。なんて潔いんでしょ。誰でも分かる。
しかも全然、笑うとこじゃないの。本気。で、連呼するんだけど、「じゃあ、豚とは何か」ってことは
直接的には言わないんですよね。大人だな。「お前ら自分で考えやがれ! だが俺は豚じゃねえ!」ってことですよね。分かりました。

丸山厚人さんが凄いイケメンでびっくりした。兄貴はクリスチャンなのか、仏教徒なのか。どうして、人の道を説くんでしょうね?今村洋一さんは随分、おもしろ子分ぶりが板についていましたね。今まで見たことがない顔だった。イン役のキグレさんもいいですね。インて名字はどこのお国のものでしょうか。韓国の名字なのかと思ったけど・・。保村さんは大分前にオルガンヴィトーでしか観たことがなかったけどそれまでのイメージとは随分違う役だった。年月が経ったということだろう。今調べたら、前、観たのは10年前だった。
「さらば、豚」無事終演しました。

ホントーに全国津々浦々から予想を遥かに超えるお客さんがスズナリに来てくれた。
熱く感謝します。それにしても、若い演劇人がいっぱい来てくれた。
トーキョーの現代演劇の最前線を疾走している若手の劇作家・演出家がこれだけ来た作品も珍しい。
『田園に死す』の時も若い演劇人が数多く来てくれたが、今回ほどでもない、うれしい限りである。彼らが、わたしたちの「ぶざまでカッコいい演劇」をいかに感じてスズナリをでていったか?

 東憲司と流山児★事務所のコラボレーションは、演劇の持つ力、とりわけ、役者の力を知らしめたと言える。アングラとはカネもメイヨも関係ない、最下層の民衆に己の表現行為を捧げる役者の「生き様」であり「死にざま」である。ゴミであり豚でしかないイキ様であり、生き様。私も「アングラの化石」でキチンと死にたいと思っている。やりたいことを、キチンとやるだけである。
 様々な評価が聞こえてきている。熱い稽古場の激論、試行錯誤。役者たちと共にここまでこれたことに感謝。そして、スズナリという空間に感謝。本多さんに感謝。それにしても、この78歳の新進男優の「進化」「深化」は・・・・・凄い。ニンゲン存在の凄まじさ。

 連日「満員」記録は10ステージとどまること知らなかった。いい芝居をやれば、客は来る!スターなどいらない、キチンとした「舞台役者」がいれば「作品」が客を呼ぶのである。『狂人教育』『盟三五大切』『ハイライフ』『ユーリンタウン』『田園に死す』といったヒット作品群がそれを証明している。今回の『さら、豚』もその系列に必ずや属する。これから「伝説」となって語り継がれてゆくだろう。
そんな、作品を真摯に緻密に大胆不敵に作り続けるしかない。
 ばらし、打ち上げ。
 明日から7月公演『イロシマ』の追い込み稽古である。小道具つくり、美術作業と『イロシマ』も同時進行で進んでいる。待ったなし、次は女優たちの叛乱。
 で、明日は劇団総会後、アニメ「宇宙兄弟」2話分収録。星加さんの仕事である。
[演劇ライフ」BYみさきみさ
ここ最近観た中でもレベルの高い舞台。
それもそのはず、東健司の新作だ。だからやっぱり劇団桟敷童子に空気は似てしまっている。セットも含めて。しかし、ワタクシは劇団桟敷童子の舞台は大好物なのでそれでいい。

まず劇場に入ると、炭鉱跡のセット。このセットだけでアングラな香りが漂う。そしてこのセットが終盤で崩れ落ちるのはお馴染みだ。今回の登場人物は社会の底辺で生きるヤクザ。舞台は九州の炭鉱町。養豚場で豚の世話をしているのは敵対している二組(桜組・梅組)のヤクザ達。

ある日、養豚場から豚が一匹残らず消えた。二組のヤクザは互いに相手の仕業だと争う。しかし、二組が世話をしていた豚の数は108頭。そんな多くの豚を匿う場所がない。いや、待てよ、あそこなら・・、炭鉱跡なら匿える。二組のヤクザ達は消えた豚を追っかけて迷い込んだ先は不気味な廃炭坑だった。そして、ここでも彼らは対立を繰り返し血生臭い闘争をするのだった。

そんな折、ここで彼らは不思議な体験をする。それは闇の奥から聞えて来る忌まわしい唄だった。それはヤクザ達にとって忘れられない弔いの唄「炭坑節」だ。悪魔の囁きのような「炭坑節」が流れ出し、と同時に炭鉱の入口が崩れ落ちる。閉じ込められたヤクザ達は、そこでも掟破りの桜組を罵倒する。その掟とは、「豚に人間の死体を喰わせねえという取り決め」だった。

人間を喰った豚は意思を持つ
人間を喰った豚は反乱を起こす
人間を喰った豚は夢を追う

ヤクザ達はもうこんな豚の世話なんか嫌だ。レストランをやろう!!と夢を語る。最下層で蠢く男たちの怒り、悲しみ、力強さ、ロマン、正義、夢を独自なくすんだカラーで描いていくバイオレンスファンタジー。

舞台上の男たちは、ある時期から、実は彼らは豚なんじゃないかという疑念が湧く。そういった描写の舞台だ。これを観てレクターが富豪を豚に食わせるシーンを思い出した。

ひじょうに素晴らしい舞台だった。男くささの中にもコミカルさや滑稽さを加味し独自のパッションでブチかます。時折、導入されるミュージカルも素敵だ。そして出演した役者の全てが実力を兼ね備えた陣だ。まあ、これはキャストを確認すれば解る。脚本は勿論のこと、演出、舞台美術、照明、音響・・・全てにおいて秀逸だった。
イケメンの今村洋一のメイクがどっぷりヤクザだった。この仕事にかける彼の意気込みを感じる。いい役者になったな・・とつくづく思う。ワタクシは本当に嬉しいよ。塩野は何をやっても面白い。イワヲに関しては特にメイクなしでもヤクザ顔。ついでに流山児祥は親分みたいな。

誰にお勧めしても恥ずかしくない出来。ドカン!!とお勧め。


「がめ煮んごとある日々」
思わずニンマリとしてしまった^^。他の劇団に「初」書き下ろしでも、
やっぱり「九州」で、なおかつ「炭鉱」なんだなってね^^東憲司さんらしいな。
始めっから終わりまでずーっと廃炭鉱の中。懐中電灯を多用した演出がすごく雰囲気がある。
まるで、炭鉱の中の一角で物語を見ているような錯覚に陥る。息苦しさすら覚えるほどだった。

ヤクザが管理している養豚場の豚が忽然と姿を消したことに端を発する古い炭鉱跡の中で繰り広げられる、
対立する2つの組のヤクザたちのどろどろ物語。と書くと、まるで古い東映映画を彷彿させラストシーンは高倉健の哀愁の背中よろしく肩で風切る格好いい男たちの物語…なんてのをを想像するかもしれないがこれが違うんだな。出てくるのはしがない2つの組の下っ端ヤクザたち。上からの命令で管理している豚が、ある日すべて養豚場からいなくなってしまったから大変。早く探し出さないとどうなるかわかったもんじゃない。

相手の組の仕業だと考えるもどうやらそうではないらしい。では一体誰が・・・?
最終的に豚が逃げ込んだ先は古い炭鉱跡ではないかと結論付け、みんなで豚探しを始めることに。
炭鉱跡に入っていくも、しかし豚の姿はない。実は、豚失踪事件の裏には謀り事があったのだ。その首謀者とされるひとりの兄貴分。しかし、不思議なことにその兄貴分には、なぜかその謀り事に関する記憶がない。
探しても探しても見つからない豚立ち入ってはならないあの場所。聞こえてくる弔いの唄「炭坑節」。
さまよえる旧軍の亡霊。次第に明らかになっていくヤクザたちの諜略。

そして、食料もなく炭鉱跡に閉じ込められてしまった男たちが、極限状態で下した決断とは。
探しているのは豚なのか、それとも己自身なのか自分はなぜここにいるのか。自分は一体何なのか…

夢と現実が交錯するような幻魔怪奇な物語。「幻魔怪奇」という言葉を使うと、小説好きなら夢野久作の「ドグラ・マグラ」を思い浮かべるかもしれない。本作はまさに「ドグラ・マグラ」のように、夢と現実の境界がはっきりしない悪夢の繰り返し的物語で、見ていてなんとも苦しくなってくる。懐中電灯という小道具をうまく使った演出で、その息苦しさはなかなかすごいもんだったな。

ラストシーンの、「空ってどんな色だったっけ…」という台詞が胸に刺さる。東憲司×流山児祥という異色の「初」コンビが作り上げた物語は極限状態に追い込まれた男たちの壮絶で切ない物語だった。
この2人のコラボはいつかあるとは思ってた。それが今回実現した形となった。まさに夢のようなコラボだった。
 ブログ「梁塵日記」BY山田勝仁
スズナリで流山児★事務所「さらば、豚」。東憲司の初書き下ろし作。かつての筑豊の炭鉱地帯を根城にする二組のやくざ。石炭繁栄の時代は終わり、いまや競うように豚を飼い、それが組のシノギになっている。やくざなのか畜産労働者なのかわからなくなった凶暴な連中。桜組66頭、梅組42頭、合わせて108匹の豚。まるで煩悩の数。
 その豚がある日忽然と消えてしまう。互いに相手の組の仕業と思い、拉致拷問の果てに豚の行方が廃炭鉱の旧坑道と狙いをつけ、真っ暗なヤマに潜るも、坑道から聞こえてきたのは不気味な弔いの歌「炭坑節」。明るい盆踊りとして知られる炭坑節の背景には、ぼろくずのように坑道に葬られた何十万何百万もの朝鮮人、被差別部落民、漂白の民、下層の人々の怨念がこもっているのだ。
 互いの疑心暗鬼の果てに殺し合いを始めたやくざたちの前に現われる旧日本軍の老人・狼。たった一人、敗戦日本のGHQ占領に徹底抗戦した兵隊の亡霊だ。今も炭鉱の闇の中から戦後日本を呪詛している。
 やくざたちの殺戮合戦。岩盤崩落で闇に閉じ込められたその果てのカニバリズム。日本軍兵士の登場に「ひかりごけ」を連想してしまう。
 再びの「弔いの歌」。それが鳴り響くにつれ、坑道の破局が近づく。
 スズナリに旧い梁の木をめぐらし、炭鉱の坑道を再現した島次郎の美術がまず目を引く。しかも最後は屋台崩しだ。この舞台美術で今回の舞台の成功はあらかじめ予感されたといっていい。
 カナダ演劇「ハイ・ライフ」を思わせる男10人の汗臭いバイオレンス芝居。
 なによりも役者たちがいい。
 桜組(錯乱?)の若頭で物語の狂言回し的な役割を果たす若杉宏ニは商業演劇中心で3年ぶりの出演。アングラ芝居のブランクを感じさせない余裕の演技。久々に役者復帰した劇作家・佃典彦がまたいい味を出してる。塩野谷正幸はいつもの独自路線な役作りで笑いを取り、梅組(呻く?)の頭・保村大和は凶悪さと茶目っ気の共存したやくざを好演。イワヲ、冨澤力、木暮拓矢の劇団員と今村洋一(地下空港)も凝った役づくりと流山児仕込みのアナーキーな演技で舞台を活性化させる。
 真っ白なスーツ姿で登場する丸山厚人は流れ者の革命家という設定。辺境最深部からの窮民革命ということか。色香を感じさせる立ち姿、テントで鍛えた声量。登場するだけで場が華やぐ。「これはアングラ革命劇だ!」の客体化したセリフも張り詰めた緊張を緩和する。
 「オールドバンチ」でも活躍した本多一夫氏は老敗残兵・狼役に挑戦、普通の役者では決して表現できない、その独自の存在感が舞台に異様な緊張感をもたらしていた。
 炭鉱の闇の底から戦後日本の空虚な明るさを照射する陰鬱なるハードボイルド活劇。
 戦後エネルギー革命の連鎖で閉山に追い込まれて行った炭鉱の歴史、その漆黒の闇に消えていった何百万もの最底辺労働者の悲劇は現在進行中のフクシマの原発被爆労働者の姿と重なる。「弔いの歌」は筑豊や夕張の地下水脈を突っ切り、メルトダウンした原発の底盤に鳴り響いている。福島原発4号機の破壊が世界の「破局」と同義であるという事実を思えば、「さらば、豚」は今日的状況を反映したきわめてアクチュアルな芝居といえよう。 
 この濃密な空間がギラリと抜き身の刀を放つように息づいたのは何よりも流山児祥の硬軟併せ持つ演出の力。演出家の仕事とはつまりこういうことなのだ。

TWITTER評より 
BY高取英
流山児事務所の「さらば、豚よ」を見た。ドグラ・マグラだった。飽きさせない。深刻そうだが、元気な楽しい芝居。

BYかずみ
心が震えた、痺れた。それ以上の解釈は、とりあえず今の私にはいらないな。何か話すなら、今じゃない。という事もあり、本日は何も話さず吉祥寺に戻りました!

BYまっつー
人の在り方を考えさせられるいいお芝居でした! 良い意味で泥臭いアングラな劇!

BYりか
 東憲司氏の新作。養豚場から消えた豚を追い廃炭鉱に迷い込んだヤクザ達の泥臭ハードボイルド。元唐組の丸山厚人さんが「これはアングラ革命劇!」と劇中で叫ぶ(笑)ド直球なアングラ劇。薄ら笑いが止まらない!ス ...。
 廃炭鉱で行詰まるヤクザの息詰まる男芝居。設定自体も演出も褒め言葉として“腐ってもアングラ”で暑苦しくも狂おしいほど。愛しの若杉さん勇姿久々ゆえ説も個人的にあるか。塩野谷さんのキャラ造形に今作も拍手。で諸々どこ ...。
 九州の炭鉱を完全再現した美術は圧巻!欲望と恐怖が渦巻く坑道で、豚をテーマにした黒く暗い1時間45分。ねっとりした男の激情、二転三転する人間関係にどっぷり引き込まれました!厚人さん、もれなくかっこよ ...
  BYしの
東憲司&流山児★初タッグの「さらば、豚」観劇。あの狭い空間にいかにも島次郎美術な斜めに切り取った装置が入った上に、曲者揃いの個性派男優10人の男芝居、あらゆる意味で濃かった!!

  BYイマイヒロコ
「さらば、豚」から帰宅。ツレ友が号泣!男達はスバラシイって。清らかだって!ハマったみたい...。
「さらば、豚」連日満員爆走中、ついに12(火)14時千穐楽です。お見逃しなく!
なぜか客席は「余裕あり」です。ふらりと、下北沢へ!お出で下さい。劇団員一同、劇場で待っています。

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流山児★事務所2012夏公演〜豚は夢を見る〜
東憲司(劇団:桟敷童子)新作書き下ろしファンタジー
流山児祥:演出  島次郎:舞台美術 沖野隆一:照明 多良間通朗:作曲
『さらば、豚』
日時:2012年6月6(水) 〜 12(火)
会場:@ 下北沢ザ・スズナリ 
03−3469−0511(スズナリ)、03−3467−7554(スズナリロビー) 予約受付中!
【出演】
若杉宏二・佃典彦(B級遊撃隊)・保村大和・丸山厚人(ex唐組)・今村洋一(地下空港)/イワヲ・木暮拓矢・冨澤力/本多一夫(特別出演)/塩野谷正幸

「さらば、豚」@最新前売状況(6月10日現在)
12(火)14時大いに余裕アリ!→ふらりと、スズナリへ!

※上演時間1時間45分。
この上半期最大の傑作を見逃すな!
当日予約:03−3467−7554(スズナリロビー)03−3469−0511(スズナリ) mail@ryuzanji.comまで!!
※当日券は開演の1時間前からスズナリ窓口にて発売します。
※当日券は「充分」ございます。ふらりと下北沢へお出で下さい!
CORICH劇評より。BYうさぎライター。
閉ざされた空間で生命の危機にさらされながら男たちの夢と現実がぶつかり合う、アングラの匂い立ちこめる舞台だった。男度100%の芝居は流山児☆事務所の得意とする分野だが、男の弱さと哀しさがにじんでいて、しかもエンタメなところが魅力的だ。

男が一人、九州の廃坑となった炭鉱の中で語り始める。「全ては3日前に始まった…」
彼は桜組の下っ端ヤクザの郷屋(ごうや・若杉宏二)。炭鉱が無くなって今やヤクザの収入源は豚を飼うことだ。上からの命令でもう5年も仲間と豚の世話をしている。その66頭の豚が、ある日突然姿を消した。
これはやはり豚を飼っていて、敵対する梅組の連中に違いないと考えた郷屋たち5人は、唯一考えられる場所、12年前の忌まわしい廃坑へと豚を探しに行く。しかしそこで彼らを待ち受けていたのは、同じように忽然と消えた豚を探しに来た梅組のヤクザ達4人だった…。

炭鉱の中で「炭坑節」を歌うと必ず落盤事故が起きるという言い伝えが効いている。
武器を持たなければ不安、誰も信用しない、生き残るためには平気で裏切るというヤクザの習性が、閉ざされた空間の中で疑心暗鬼を増幅させていく。その結果恐怖にかられたヤクザ達は次々と殺し合い、生き残った者はある究極の選択を迫られる。

上手と下手にひとつずつ、2方に伸びる細い坑道がその先にあるものを想像させて不気味。照明の変化で時間と、夢と現実の境界を行き来するのもとても良かった。若杉宏二さん演じる郷屋が登場人物を紹介し、状況解説もはさむのだがこれがとても判り易く、ヤクザの個性やその後の行動を納得するのに助けになった。
似たような強面のヤクザにもバックグラウンドがあり、それぞれの死にざまにつながるから情報は大事だ。

今回の塩野谷さんは信用金庫の経理担当者からヤクザに転職した変わり種を演じた。これが、性根がヤクザなのは実はこの経理マンではないかという行動に出る。びくびくしていたくせに狂気に走るところは、やはり塩野谷さんらしさ全開。ダンスの時、つい注目して笑ってしまってすみません(笑)

狼と呼ばれる老兵(本多一夫)が彼らに武器を与え、殺し合いをさせたり「炭坑節」を歌って落盤事故を引き起こすように仕向けたり幻のような存在ながらヤクザ達を操るというのも、因果応報を感じさせて存在感あり。

郷屋は結局死んだのか、生き残ったのか・・・?
あの“落盤事故の時に空を見るための窓”は永遠に開かないだろう。ヤクザの窓は黒い闇を映すだけだ。
その哀しみが強く残る舞台だった。

これが女だったらどうなっただろう。同じように殺し合うんだろうか?
もっと残酷か…。ふとそんなことを考えた。

TWITTR評より。
流山児★事務所『さらば、豚』観劇。東憲司氏の新作。養豚場から消えた豚を追い廃炭鉱に迷い込んだヤクザ達の泥臭ハードボイルド。元唐組の丸山厚人さんが「これはアングラ革命劇!」と劇中で叫ぶ(笑)ド直球なアングラ劇。薄ら笑いが止まらない!(中屋敷法仁)
 
さらば、豚。今まで観た流山児事務所作品で、二番目に面白い舞台であった。面白かった。(赤澤ムック)

桜組、梅組合わせて9人の男が、炭坑のなかで激突する。炭坑の奥深くから登場する、狼と呼ばれる老兵に本多一夫。いうまでもなく、本多劇場のオーナーだ。やくざ同士の抗争、その背景に横たわる思惑、豚に隠された秘密、炭坑の記憶などが、炭坑節とともに甦る。(バードランド)
今回脚本は東憲司。東の独特の世界と言葉遣いだが、流山児の演出といずれも非常に力のある10人の男優のために桟敷童子よりはずっと濃密な男芝居になっている。スズナリはこの座組みと本にはちょうどいい空間。最後はお約束の舞台崩し(少しおとなしめ)おれたちは人間なのか?豚なのか?夢と現実が渾然一体となるパワフルな脚本と演出。役者では若杉、丸山、塩野谷が良かった。本多一夫氏も役と本人が分かちがたい存在感。
(JUNKO SASAKI)

九州の炭鉱を完全再現した美術は圧巻!欲望と恐怖が渦巻く坑道で、豚をテーマにした黒く暗い1時間45分。ねっとりした男の激情、二転三転する人間関係にどっぷり引き込まれました!厚人さん、もれなくかっこよかったです。(高橋戦車」

廃炭鉱で行詰まるヤクザの息詰まる男芝居。設定自体も演出も褒め言葉として“腐ってもアングラ”で暑苦しくも狂おしいほど。愛しの若杉さん勇姿久々ゆえ説も個人的にあるか。塩野谷さんのキャラ造形に今作も拍手。で、諸々どこか引き視線も漂ったのは流石の脚本?(ますだいっこう)

泥臭い・汗くさい・血生臭い男の世界をやらせたら小劇場一と思う。久しぶりに若杉さんと塩野谷さんを同じ舞台で見れて嬉しかったー。ハイライフ再演熱望!さらば豚も公演中もっかい観に行きたい。そんぐらいカッコよかった!(宮野美雅子)

暗い埃臭い泥臭い炭坑跡でいきなりハジキとヤクザと血飛沫と屍累々、滾 ら ず に 居 れ る か!!!「戦時中」のキーワードで最近連想しやすいのが桟敷童子、と思ったら本当に東憲司産脚本也。寝る隙なんか無いぜ!(stage0910)
今日も昼夜の2ステージ。
雨である。
確証なき安全宣言の「大飯原発再稼働」のニュース!ふざけんじゃねえ!の朝であった。
「事故防げる」の根拠はどこにあるというんだ?
野田首相の詭弁に国民の大多数が唖然というかおかしいんじゃない?が実感である。
再稼働の手続きではなく儀式としての野田首相の会見であった。
首相官邸前の4千人のデモ。きちんと「批判の声」を挙げねばならない。
・・・・・・・・・・・
昼・夜とも「満員」の「さらば、豚」の4日目。
役者たちは絶好調でやっている。
今日も名古屋、仙台、大阪、九州といった全国各地からスズナリまで。
大感謝。ほんとうに「元気」にやるしかない。
演劇団のメンバーや佃君、若杉の組み合わせという事で「懐かしい」顔が続々と。
嬉しい限り。
来年3月に予定している「義賊☆鼠小僧次郎吉」の台本打ち合わせを西沢君と。やることはいろいろ。
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あと、4日、4ステージである。
明日10(日)は「中日祝い」という事で本多さん主催の呑み会。
今日も昼夜の間に本多さんの差し入れの「特製弁当」ありがとうございました。
あと、4日4ステージ。お見逃しなく!
さっそくレビューが出ました。演劇評論家の江森盛夫さんのブログ「演劇袋」と演劇記者のTさんのブログ「芝居漬け」に素敵な「劇評」が掲載されています。

以下のごとく。

江森盛夫の「演劇袋」より。流山児★事務所「さらば、豚」@ザ・スズナリ。

 舞台はかっての炭鉱の町の廃坑。炭鉱が栄えていたときは、そのからみでしのいでいたが、いまやいあがみあっていたヤクザの梅組と桜組もいまは下っ端が働く養豚所の稼ぎでかろうじてしのいでいる。その二つの組の豚がある日廃坑目指して忽然と逃げ出し、両方のヤクザが廃坑のなかでどつきあう・・。
 作者の東は炭鉱があった北九州の出身、演出の流山児は熊本出身で、父親が総資本と総労働が命がけで対決した三井三池の炭鉱争議を指揮した炭労の副委員長で総評副議長だった・・、
 その流山児はこういうアウトローの世界の芝居はいわばオハコで、カナダのアウトローの世界を活写して『ハイライフ』で演劇賞を獲った・・。
 磐石の背景で廃坑の迷路を走り回る豚の群れの咆哮がどよめき、ヤクザのピストルが火をふき、落盤を予告する炭鉱節が不気味に聞こえてくる・・。 この舞台の肝は、この炭鉱節、この民謡は普通、明るい夏の盆踊りの民謡として知られているが、この舞台での炭鉱節は流山児が敬愛する筑豊の作家上野英信が言った、「この炭鉱節は、九州の炭鉱に強制連行され朝鮮の人々、被差別部落の人々、犯罪者、ヤクザら現在でも差別にあえいでいる人々の遺産であり、日本民族の「黒人霊歌」である」として、どこかから怨念がこもった暗い不気味な調子の歌として聞こえてくる・・、ヤクザたちは出口を落盤でふさがれ、閉じ込められる・・、飢えがつのり、銃撃で死んだ仲間の死体へ・・・。
 流山児の意を体した久しぶりに事務所の芝居に出た若杉宏ニが梅組のリーダーで芝居の大筋のナレーターも勤める、桜組は元唐組の丸山厚人が独特の存在感で際立ち、異色は劇作家佃典彦が梅組のヤクザに扮して面白く、桜組は塩野谷正幸がバックを固める・・。
 これも久しぶりに流山児の舞台美術を担当した島次郎はかって流山児の舞台で役者をやったこともあるそうだ。追い詰められたヤクザたち、弔い歌と化した炭坑節、最後に全員で歌ったこれも正調の労働歌だった「頑張ろう」が全く茶化して歌われて、戦後の歴史が異化される。
 だが、決してこれが主題化されなくて、流山児は東の戯曲の隅々まで最大限に舞台化し、ただただおっかなくて面白い芝居の中で、既成概念をこわし、歴史の味わいを複雑に変化させ、賞味させるのだ・・

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「芝居漬け」BY:N・T
 流山児★事務所が得意とするジャンルの一つ、社会のはみだしもの(今回はヤクザくずれ)の男達が対立しあい、殺しあい、裏切り、結局は落ちていく・・・・というお話。

 今回は、九州の炭坑で土にまみれ、豚に振り回され、人と金で入り組んだ軋轢の中で抗争を繰り返す10人のヤクザものたちのもがく姿に、過去に置き去りにされてきた社会問題、解決を後回しにして目先の発展にばかり奔走してきたわれわれへの警告を絡めてみせる。

 10人の男ばかりの舞台の中、流山児氏とは氏がプロデュースする高齢者劇団を通して昵懇の仲の劇場支配人本多一夫氏が特別出演している。私ば観た日は、幕が開けて2回目の公演ということもあったのか、本多氏のシーンでは、オールド・バンチ公演を彷彿とさせる、なかなかスリリングな「間」もあったので、毎日、何が起きるか。。まさにライブならではの面白さがあり。。かも。(ま、それにしても、あのこわ〜〜〜い「間」からして味にしてしまうところに、劇団の円熟味があるのかも)