2012年11月公演「地球☆空洞説」@豊島公会堂のドキュメンタリーが完成。
報道の魂「寺山修司没後30年 〜寺山演劇復活の理由」
が本日:1月20(日)TBS25時20分〜25時50分放送されます!!
ぜひ、ご覧ください! もちろん録画もおススメします。
http://www.tbs.co.jp/houtama/
なお、流山児祥プロデュース@Space早稲田公演「リバーサル」(大塩哲史:新作 小林七緒:演出)
は1月29(火)まで好評ロングラン上演中です。是非ご覧下さい。
本日20(日)は14時開演、13時40分開場 当日券の発売は13時より。お席は「余裕あり」です。
以下の通り
↓
演劇雑誌「テアトロ」 2013年2月号劇評 丸田真悟
豊島区テラヤマプロジェクト実行委員会は、二〇一三年に没後三十年を迎える寺山修司の作品を二〇一四年までの三年間、毎年十一月に連続上演する という。その第一弾としてテラヤマ見世物ミュージカル「地球☆空洞説」(原作/寺山修司、構成・脚色・演出/天野天街・村井雄・流山児祥)が上演された。
会場前の公園に集められた観客は流山児祥と大久保鷹の口上と、出演者の歌に導かれて会場へと入っていく。そこでは銭湯帰りの男(塩野谷正幸)が自分のアパートからあふれ出してしまうという物語を軸に、舞台を埋め尽くす総勢五十名を越える役者たちによって、次から次へと奇妙な物語が展開していく。
そこで繰り返される「地球はもうじきおしまいだ」という歌声。寺山の「地球は空っぼだ。私たちは空っぽだ」というメッセージは今なお新鮮だ。その空っぼに私たちは何を吹き込むのか。希望か夢か、それとも虚構か、あるいはもはや吹き込むべきものなど持たないのか。猥雑な昭和の香りを漂わせながら、人間の欲望と虚無感が曝(さら)け出される。
生身の役者に絡む映像と、どこか懐かしい振り付けのダンスと音楽が奇妙な世界を支える。そして流山児と大久保が物語の世界に現実から闖入し、引っ掻き回して、覚醒させる役目を担っている。ただ、他の役者たちは作品の中に納まっている印象があり、そこにはもはや「見世物」のおどろおどろしさはない。
終演後、会場上空に浮かんだ気球は、孤高を保ち、悠然と街を見下ろしているのか、それとも儚げに風に揺られているだけなのだろうか。
「悲劇喜劇」 2013年2月号 演劇時評 小山内伸(朝日新聞)
小山内 最初は街頭、池袋・豊島公会堂前の中池袋公園で始まります。男が一人、空気入れで地面に空気を吹き込んでいる。そこに女子高生たちが集まって、「おじさん何してるの」と聞くと、実は地球は空っぽだから、しぼまないために空気を吹き込んでいるのだと説明する。それを聞いた女子高生たちは、だったら私たちは気球に乗って脱出するんだと言います。これが全体を貫くイメージですね。このあと「地球はもうじきおしまいだ」という曲に迎えられながら、観客は公園から豊島公会堂の客席に入ります。
岩佐 野外劇としてやるんですか。
小山内 冒頭の場面、十分間だけです。サーカス音楽のような、もの悲しさを漂わせた音楽が寺山修司の世界を再現していました。物語の中心は、銭湯から戻った男がアパートに帰ろうとすると、自分の部屋がなくなっていたという話です。人間が蒸発したのとは逆に、人間が出現したのだと受け止められます。余分な男の生成をめぐる物語ですね。そこに妹と母親と称する女たちが出てきて「お兄さん」と言うのですが、男は相手を全く知らない。そうすると妹と母親は、それぞれ三人ずつに増えるんですね。人間が出現するのが一段階目で、次に人間が増殖していくのが二段階目です。そのあと一九七三年に戻る暦が出てきたり、自分は気球だという太った妻にやはり空気を吹き込む話が出てきたりと奇譚を挿入しながら、やがてある少年が 銭湯に行く途中にいなくなった話に導かれていきます。つまり銭湯に向かった少年が、銭湯帰りに出現したその男なんですね。さらに妹や母親、父親まで出てきて、「俺」も増殖して家中が満員になる。「自分」や「時間」がどんどん拡散していくイメージと、地球が空洞になっていくイメージを対称的に描いたものです。歌もふんだんにあり、ダンスも前田清美さんが振り付けているので洗練されていて、躍動的な舞台でした。
〜寺山さんの言葉の洪水に身を委ねて〜
「千秋楽から一夜明けて…本当に楽しかったな…返す返すもプレビューと千秋楽しか見れなかったのが悔しくてたまらない。だってめちゃくちゃ進化して深化してたから!
中池袋公園でのプロローグ開演の時刻になっても当日券で人が後から後から集まって来たため、公衆トイレの屋根の上で前説をしていた空洞学者先生@流山児さんの要請で風を売っているもう1人の空洞学者先生@大久保鷹さんが寺山さんの詩を一くさり…それがまた楽しくて!
そこから一気にテラヤマワールドに引き込まれて、気づいたら豊島公会堂の上に大気球が上がってました。
今回は流山児さん・天野天街さん(少年王者舘)・村井雄さん(開幕ペナントレース)の共同演出。
全体的に言えば映像、夕沈ダンス、音楽…天野ワールドっぽかったかな。
宝塚歌劇団の振付などても有名な前田清実さんの振付・ステージングは今までの流山児★事務所にはない新鮮さがありました。
でも男優陣が前をケロリン桶で隠しただけの全裸(!)で踊る桶ダンスとか、アドリブなんだかわけ分からん(笑)穴掘り男3人衆(谷宗和さん・イワヲさん・甲津拓平さん)の弾けっぷりなどを見ていると“あー、これ!これ!これが流山児★事務所よねー!”と妙な安心感と楽しさがあったり。
あとは寺山さんの言葉の洪水に身を委ねればOK♪
J.Aシーザーさん作曲、チェロ奏者・坂本弘道さん率いるスーパーバンドの奏でる爆音も身体に心地よい。
一部坂本さんが作曲している曲もありましたが、それもシーザー楽曲に負けず劣らずカッコよかったですよ♪
何も考えずに寺山さんの言葉の洪水に身を委ねて、理屈なしでただひたすらに楽しかった!!!
再演…ないらしいけど…再演…して欲しいな〜。
演劇◎定点カメラ BY ねこ
「豊島公会堂を使っての豊島区との3年企画。F/Tで気を吐く南口に対抗してるよう。
また楽しみが増えたねこ。
構成。戦後の歴史を刻んできた、古びた豊島公会堂をメイン会場。芝居はその前の 公園から始まり。公衆トイレ前で地面に自転車空気入れで注入するおじさん。女子高生達が訪ねると、地球は空洞なのでしぼんでしまうとか、まか不思議。それを聞いた彼女たちは気球で地球脱出と、輪を掛けて途方もない。
と、トイレの上にあがって流山児。公園で風を売っているという大久保鷹演じる博士を呼び上げ。あとは気持ちよさそうに2人で歌いまくり。楽団とコーラスが 加わって、それに導かれるようにメイン会場に入場。
舞台。舞台上に豊島公会堂の正面入口と、いきなりメタ装置。両袖花道、客席通路もフルに使い。
お話。銭湯から帰ってみたらアパートがない、と困った男が巻き込まれるあれこれ。
ついた場所では自分だけ、世界に一人のよけいもの。母、妹を自称する他人は 勝手に増殖。知らないはずだ、まだあってはいないと自称母は煙に巻く。 家から世界、そして母を思慕し探すインナートリップの始まり。
醒めてみる幻。今回は多人数で、1役多人数の量も役柄もとんでもない。JAシーザーのプログレ楽曲で次から次と圧倒。前田清実のファニーな振り付けダンスは客席を取り巻いて、物量大作戦。銭湯シーンの大盛男肉状態は 楽しくしょうがないねこ。お楽しみコーナーは、昔に戻る暦。タンス(偽物札付き)を背負って、状況劇場の名シーンを演じ、歌う大久保鷹。うれしいプレゼントなり。
来年はなにをやらかしてくれるか、今から楽しみねこ。
すてきな「劇評」が掲載されています。
〜池袋の夜空に舞う 自由を追い求める 寺山修司の世界〜
週刊金曜日2012年11月30日号
「舞台評」 迫眞一 「地球☆空洞説」(原作:寺山修司 演出:天野天街・村井雄・流山児祥)
夜の帳(とばり)がおりる頃、公園の片隅で空気入れの先っぽを地面に突き刺した男が、ひたすらピストン運動を繰り返している。その奇異な動きに吸い寄せられるかのように人だかりができる頃、公衆トイレの屋根にいたフロックコート姿の男たちが歌い踊り、どこからともなくセーラー服姿の女子高生たちが駆け寄ってくる。すると、突然男が夜空に向かって絶叫する。「地球はもうじきおしまいだぁ!」
現代演劇の巨人、寺山修司の真骨頂ともいえる街頭劇から始まる。地球の中味は空洞になっているという物語軸に、銭湯帰りの冴えない男が、アパートから突如出現した。さまざまな奇想天外な人物たちが新しいテラヤマワールドをうみだしていく。「これでもかぁ!」と暴力的なまでに畳みかけてくるようなマシンガン演出が炸裂する。天野天街の映像世界と坂本弘道のアレンジした生演奏による呪術的ロックがコラボし、総勢59人の役者陣による熱唱やダンスパフォーマンスとともに2時間ノンストップで連射しつづける。
“見られるもの”が“見るもの”との境界を軽々と飛び越え、役者たちが縦横無尽に劇場内を疾走していくと、ドーランの灰かな香りとともに“いまここ”の偶然性が立ち上ってくる。
昨今、もてはやされている参加型アートなんていう甘っちょろいものでもなければ、生ぬるく、予定調和な物語を手繰っていくような商業演劇でもない。架空のものを現実へと転換する逆ドキュメンタリー演劇。
さらなる自由を追い求め、池袋の夜空に夢の大気球が舞い上がる。
↓
「テラヤマ見世物ミュージカル」は、「お祭り」だ。
「大騒ぎして、空虚で虚しい」って、なんて素敵なんだろう!
公園にある公衆便所の上から始まり、ここで終わる。
流山児祥さんたちがここに乗ってハンドメガホンで口上を述べ、「地球はもうじきおしまいだ〜」の歌に送られて観客は劇場に入る。
みらい座いけぶくろなんて洒落た名前にしているけど、豊島公会堂のこと。古めかしくて味わいがある。ここで上演する意味があるなとも感じた。本当は野外のほうが面白かったとは思うのだが。この登場人数では無理だな。みらい座いけぶくろ(豊島公会堂)は、独特の反響がある。だから、合唱の感じがいい。
生演奏で50人ぐらいの俳優が舞台で歌い踊る姿は圧巻!
J・A・シーザーさんの曲は、当然のごとく寺山修司との相性がいい。J・A・シーザーさんの曲は、やっぱり「合唱」だと思う。若い男女の合唱が切なくなる。
かたやももう1人の音楽担当、坂本弘道さんの曲もいい。
J・A・シーザーさんだけでない分だけ幅が広がったように思えるし、別モノだ、という違和感も感じなかった。
今回演出にクレジットされているのは、天野天街さん、村井雄さん、流山児祥さんの3人。だからそれぞれの持ち味がそれぞれ活かされていたようだ。特に天野天街さんは、「いつもの天街ワールド」で、夕沈さんもいつもの「な〜」の語尾のような少年王者舘風味でもなんか、「見つけた」感があっていい。確かに「いつもの」すぎるところもあるのだけど、「テラヤマ見世物ミュージカル」としてはそれでもいいと思った。劇場の時計の表面が実はニセモノでだらりと垂れ下がるのがツボだった。
銭湯帰りの男が1人、蒸発ではなく、余分に「勃発」することで、カオスになっていくという物語。自分が自分だ、と言い張る男たちや、母だと言い張る母たち、妹だと言い張る妹たちが、どんどん出てくる。「自己の喪失」ではないところの「(自己の)勃発」による、「オレは誰なのだ」というアイデンティティ的な問題もあるのだけど、結論としては「地球はからっぽ」で、「もうじきおしまいだ」なのだ。
日本の今を見ても、ぐるりと世界を見渡しても、やっぱり「地球は何にもない空洞」で、「もうじきおしまいだ」と思わずにはいられない。
空気女などの寺山演劇のシーンも盛り込まれていたり、あざとく、30年前(だったか?)のオレたちは何をしていたか、などと昔話をしたり、福島のことをちょろっと入れたりしていたが、基本は、大人数で大騒ぎして、お祭り騒ぎ。公演そのものも「からっぽだ」とまでは言わないけれど、それで十分だったと思う。
つまり、「大人数で歌い、踊り、大騒ぎして、空虚で虚しい」なんて、素敵じゃないか! と思うのだ。
「世界初演!」なんてのもバカバカしくていい。
セットだった垂れ幕が落ち、劇場の姿になり、幕。
そして、外に出ると最初と同じに公園の公衆便所の上に立つ、流山児祥さんがハンドメガホンで「終わりました」と客出しをする。上空にはぼんやり気球が浮かぶ。祭りは終わった。その虚しさが池袋の雨上がりの街に寒々しくっていい。」
以下
↓
「昨日(29(木))は流山児★事務所の公演『テラヤマ見世物ミュージカル・地球空 洞説』へ。昨日が千秋楽だったから、もう「お勧め」の意味はないので公演の詳細は省くが,久しぶりに妙な感動があった。
率直に「感動した」と言いにくいのは、そもそもぼくが寺山修司という人に昔か らさほど興味が持てなかったからだ。寺山さんは短歌や演劇から競馬予想まで、様々なジャンルで豊穣な「物語」を紡ぎ出してきた人、と評価されてきた。
しかしぼくには寺山さんという人は、ただ「ぼくって何?」ということにだけ執拗に こだわり続け、それが転じて「ぼくを見て!」とひたすら主張している人にしか見えなかった。芝居はすべて寺山脳内ワールドの迷宮巡りで、だから役者もその演技も彼の脳内からひり出したオブジェであるしかなく、その世界は徹底して他
者不在の、いわば「胎内的世界」である、とぼくには思えたし,今もそう思う。
そんな寺山戯曲が、没後29年たった今なお毎月のようにどこかの劇団が公演しているほどもてはやされているというのは、この国の無意識な「胎内回帰」の気 分を象徴しているのかもしれない,とさえ思う。
が、しかしそれでも昨日は感動したのだ。
初演時(1973年高円寺の小さな公園での市街劇)の記憶が、台詞や歌の間に間にフラッシュバックして蘇るが、ほとんど原作を換骨奪胎した流山児祥ら3人による共同演出は50人を超える出演者に生演奏付きの大狂騒ミュージカル。
公演後、演出家でありながら今回は久しぶりに役者としても出ずっぱりの流山児祥が、ぼくにささやいた。「ばかばかしいだろう。だけど元気だろう」と。そう、ばかばかしいほどの「無内容」。だけれど、流山児は寺山ワールドを「内 容」だと信じる多くの再演者たちをあざ笑うように「ばかばかしい」狂騒に徹 し、そして39年という年月自体を、いわば「記憶の他者」のように挿入することで、「胎内」から外へ、とにかく歩き出そうとしている。空元気であろうと も。それが、思いもかけずに、じわっと感動につながってきたのだった。(1973年といえば、ぼくは美術での活動の傍ら,流山児の劇団「演劇団」で座付き作者として台本を書き始めたころだった。)
そして、狂騒の中から聞き取れる数少ない言葉、「地球はもうじきおしまいだ」というリフレーンだけが、舞台が終わってなおリアルに響いているのは、39年前には想像もできないことだった。」
来年で「没後30年」を迎える寺山修司作品を2012年から3年間上演するこの企画は演劇が小さな世界に縮こまり「世界」や「社会」と繋がらない演劇業界内演劇でしかない現状を変え、街に、市民のなかに演劇をもちこむ・・・・そのためのテキストとして劇詩人:テラヤマのコトバは没後30年を経てもっとも最適・有効である。詩的想像力の翼!!
・・・・・・・・
29(木)終演の日。
予想を超えた当日券を求めるヒトが長蛇の列。
中公園でのプロローグ開演の時刻になっても公会堂前の列は続く。
急遽、大久保教授にカットになった寺山さんの詩を言ってもらう。
風を売っている教授がキチンと答えてくれた。感謝。
ほぼ、客席が埋まった公会堂。8日間のあいだにここまで来た実感をひしひしと・・・・。
完璧に「地球☆空洞説」の世界を提示した59人のパフォーマー達。
59人のパフォーマー達のモノガタリとして「地球☆空洞説」は39年の時を経て全く新しい見世物ミュージカルとして新生した。
劇場とは《器》ではない!ヒト(わたし」とヒト(他者)が出会う《場》である。
市民大衆の避難所=アジールとしての公会堂演劇!これは3・11以降の演劇の、文化のある《場》としての劇場の本来あるべき姿の提示でもある。
2013年11月、わたしたちは寺山修司:脚本「無頼漢」を原作にして中津留章仁:新作書き下ろしの集団時代劇「無頼漢」をテラヤマ歌舞伎『無頼漢〜ならずもの〜』を上演する。
より強固に!豊島区そして様々なヒトビトと協働し創り上げる「街と繋がる」演劇それがテラヤマプロジェクトである。
本当に多くのみなさんのご来場に熱く御礼申し上げます。
『地球☆空洞説』に2600人を超える観客が来る《劇的事実》に感謝。
わたしたちは間違っていない、多くの大衆とともに創り上げる、大衆演劇を目指して楽しき旅を続けてゆきたい。テラヤマ演劇を大衆のものに。街の中にあるテラヤマ演劇、素敵じゃない?
・・・・・・・
ちまたでは空虚で、国民不在の選挙戦が続いている。福島の原発事故を忘れ、憲法を変え、国防軍創出、靖国参拝を公言し偏狭なナショナリズムをあおる安倍「排外主義」や、統一戦線の?橋下「ファシズムの嵐」である。最低賃金撤廃!なる狂気の政策まで打ち出してきた。
冷静に、きちんとやるべきことをやるしかない。明るい虚無の先に見るべきものは「ある」。それにしても政治家ってやつは・・・・。
脱原発と憲法改悪・・・・キチンとみるべきはココにある。
・・・・・・・・・
朝から公会堂バラシ!
15時から劇団総会。
やすむ間もなく1月公演「リバーサル」の稽古、楽塾発表会、3月公演「義賊☆鼠小僧次郎吉」の河竹黙阿弥:歌舞伎脚本:全5幕の「読み」稽古である。
池袋東口、豊島公会堂で流山児事務所総動員の大イベント音楽劇「地球★空洞説」を観る。
・・・・演劇サイトより・・・・
〜一人の人間が「勃発」する!〜
見世物小屋が建っている夕陽の公園からこの奇妙なミュージカルは始まる。街を巻き込む偶発的演劇?街から「一人の所在不明男が勃発する」ストーリーを軸に空気女と腹話術師、「他人」を演じる歌右衛門、不思議の国のアリス友の会の女子高生達が池袋の街を疾走する!
1973年市街劇として杉並区高円寺の小公園で上演された作品を2012年豊島区東池袋の小公園と公会堂で上演するJ・Aシーザー:音楽、坂本弘道:音楽監督、天野天街・村井雄・流山児祥:構成・演出、流山児★事務所劇団員総出演+実力派役者陣+オーディションメンバー!総勢50余人の「まったく新しい」半市街劇的ミュージカル・スペクタクル。これは「世界の何処にもない」TERAYAMA Musicalだ!『田園に死す』を超えるニンゲンの凄み・ニンゲンの熱情が爆発する「演劇」を超えた8日間の祝祭!を見逃すな。
・・・・・・・
夜7時の本公演開演時間の10分前から公会堂の真向かいの中公園でプロローグシーンあり。仕掛人流山児祥と大久保鷹が公園に集まった人々ー観客はもちろんのことそこにたまたま居合わせた池袋風来坊たちもいるーへ語りかける、胡散臭い前口上からして心誘われる。
公会堂へ移ってからは、ギシギシ音を立てる老朽化した観客席で50人を超えるキャストの生身の日本語による音楽劇(横文字でMusicalというよりも日本語できちんと言葉を伝えるミュージカル/ライブ音楽劇)が楽しめる。
音響設備が整っていない公会堂で、全ての言葉を拾うのはキツいが、そんなことは小さなことを思わせる、生身の人間によるライブパフォーマンス、俳優一人一人の個性が匂いたつ歌と踊り、マスダンスが展開される。
言葉の魔術師寺山修司が演劇に求めたものとは何だったのか。。。。韻を踏むことばに乗ってトランスするそのいかがわしさ、見せ物テイストのイベント、阿波踊りの呼び声のような「踊る阿呆に観る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損損。。。」というような集団の同時高揚感だったように思う。
その場にいなければ何も語れない、現場主義のイベント演劇。
元気のない昨今の演劇界にあって、あらためて目を覚まさせ、原点回帰させるような演劇上演。
まずはライブパフォーマンスの楽しさを体感してもらいたい。
ホントーに、無事に、ここまで来れてうれしい限りです。
今日の公園のscene、かなり変わりました。
それにしても、日々、少しづつ変わりながらここまで来ました。
「地球☆空洞説」はまるでイキモノのように進化しています。
ぜひ、8ステージ目の「地球空洞説」をご覧ください。
今夜も夜空には大気球があがる。
ひとはいま・ここの人生をはじめる。
公園につどう終演後の役者たちの姿をあなたはどう思うのか?
えんげきという「恋するモノ・コト」にワクワクしているあなたとわたしのモノガタリは・・・。
ま、8日間楽しい「現場」でした。
あしたも楽しもうぜ!友よ、ラストステージ、悔いなくだ。
59人の出演者たちが「地球☆空洞説」を楽しんだという時間に感謝。出会いに感謝!!
で、ファイナルである。粛々と新鮮に、いま・ここで生きるしかない!
本日:29(木)当日券お求めのお客さんは18時豊島公会堂窓口まで。お席にはまだ「余裕あり」です。是非ふらりと池袋東口5分、池袋中公園に18時50分までにお出で下さい。素敵な芝居・ミュージカルが待っています!!