BY 今村修(朝日新聞記者:演劇評論家)FACEBOOKより。
天皇という存在について考え込んでしまった。昨夜は日本の演劇人を育てるプロジェクト新進演劇人育成公演俳優部門「音楽劇『阿部定の犬』〜喜劇昭和の世界〜」(作=佐藤信、演出=西沢栄治)@Space早稲田。
「キネマと怪人」「ブランキ殺し上海の春」と続く三部作の第一作。1975年に演劇センター68/71(現黒テント)によって初演された。「キネマ」と「ブランキ」はリアルタイムで観たが、この作品だけは見逃していて、戯曲と劇中歌を収めたLPだけで想像していた、幻≠フ舞台だった。
時は「概ね昭和十一年」。2.26事件で戒厳令が敷かれた帝都に、不逞の女が出没する。情事の果てに情人の局部を切り取って逃亡した阿部定らしき「あたし」(山崎薫)だ。近寄る男を次々と虜にし「犬」に仕立て上げていく「あたし」。現人神の衣をはぎ取られた天皇のようにも見える写真師(谷宗和)は、巷にはびこる「犬」どもを「犬兵」として調教し、「あたし」も手中に収めようとするが……。
寓意や比喩、異化効果がテンコ盛りの戯曲は安易な理解を拒む。背景には雪の2.26がありながら、進行するドラマは概ね夏のようだ。しかも「新嘉坡では夏でも雪が降ります」なんてセリフがあってますます面食らう。「犬」にしたって、写真師の下では従順に飼いならされた暴力装置だが、「あたし」の手にかかるとアナーキーな不服従の存在に変わってしまう。「犬」とは何か?
天皇制の下で滅ぼされ、支配されてきた「まつろわぬ者たち」「荒ぶる神」「荒魂」の比喩なのではないかと妄想してみたりする。大嘗祭の秘儀によって制御されているはずのそれら、こともあろうに淫婦の姿をまとって帝都を揺るがす。卑による聖の侵犯、放埒による秩序の紊乱。それが天皇の昭和という時代を根底から揺るがす……。そんな小理屈をこねてみても、劇の全体が分かったわけではさらさらない。
「アングラ」と一からげに括られながらも佐藤戯曲は多くのそれとはいささか趣を異にしている。エモーショナルに回収されることがない。カタルシスという逃げ場もない。シンボルに満ちた物語はパズルのように複雑に組み合わされ、迷宮化される。演出家はそれを一つ一つ丁寧に分解していかなければならない。それと、70年代の叛乱の時代精神。多分当時の上演では、観客の中にストーリーは明瞭に了解できなくても、心の深いところで共感しシンクロするものがあったのだろう。
だが、時代は変わった。当時は全ての差別の根源と見なされていた天皇性への批判的な眼差しは弱まり、天皇はむしろ政権の暴走に抗う、民主主義、立憲主義の防波堤とも一部で期待される存在となっている。そんな中での初演から約40年目の上演。2.26も戒厳令も阿部定も今舞台に立つ若い俳優たちにはむしろフィクションに近い出来事だろう。歴史を理解し、難解な戯曲を腑分けし、自分の体の中に入れる。時代精神という援護もない。極めて困難だが、また極めて貴重な体験だったに違いない。
若手育成の名の下、敢えてこの難物に立ち向かった蛮勇に拍手を贈りたい。耳を虜にしたクルト・ワイルや林光の曲が使われなかったのは残念だが、敢えてオリジナルで挑んだというのも、覚悟の現れだろう。
それにしても、と思う。かつて、写真師=天皇に向けられた「あたし」の銃口は、今誰に向けられているのだろうか?(敬称略)
満員爆走札止め連続4日目となる!キャンセル待ちのお客さんのために増席対応。演劇大学IN金沢の演出家もわざわざ来てくれた。ほんとに地方から、海外から多くのお客さんも。客席はすごいことに・・・。明日はベトナムの演劇人も。あ、これまた黒テントの初演メンバーでもある服部吉次さんの顔も、ありがとうございます。演劇評論家であり朝日新聞の今村修さんと佐藤信の演劇、演劇の前衛性にについてじっくり話す。
絶賛の「阿部定の犬」もあと3日間、4ステージ限りです。お見逃し無く。
本日:20(金)19時「余裕あり」当日券は18時より発売します。
※21(土)昼・22昼「余裕あり」オススメ。
なお当日予約は17時までこの予約メールで受付中→
http://quartet-online.net/ticket/abesada2014?m=0abjgca …
昭和をめぐる「恋」のミステリー音楽劇!面白いです!
演劇の力=劇的想像力の翼を広げて・・・・・・ステキな役者たちを見てください。
今日は敬愛するするあんどうみつおさんが来てくれた。さて、
あんどうさんはどう見たのかな?
というわけで、「阿部定の犬」マチネ終演後、楽塾の総会。
来年のゴールデンウイーク作品の話。劇場はひさしぶりの座・高円寺2
5月2(土)〜5(火)の4日間6ステージの予定。
演目は今年に続いて寺山修司作品?「寺山修司の女の平和」に続いて「世界初演」作品の予定。
完全なる流山児★事務所+楽塾のコラボレーション。流山児★事務所創立30周年記念公演です。
「阿部定の犬」(佐藤信:作、西沢栄治:演出) いよいよ、残り1週間8ステージです。
16(月)19時は「余裕アリ」のオススメ!
友達誘って、ふらりと早稲田まで。開演2時間前まで予約フォーム で受付中です→ https://www.quartet-online.net/ticket/abesada2014?m=0abjgca … …
「阿部定の犬」は上半期最大の問題作です!皆さん、見逃すなかれ。
本日:11(水)14時「余裕アリ」!いますぐ、予約を!
開演2時間前までは予約フォームで受付中です。
12(木)19時は「大いに余裕あり」
13(金)・14(土)は「大いに余裕アリ」のオススメステージ.
とりわけ14(土)夜19時の回は,ほんとびっくりするほどの「超オススメ」です!
※つまり、いつでもふらりと早稲田においで下さい!ということです。
※全18ステージのロングラン公演、どんどん芝居は進化・深化しています。
※また、今回は2方向(厳密に言えば3方向の)客席になってます。ぜひ、違う角度からもう一度観劇頂ければ幸いです。面白いですよ。
後半16(月)〜22(日)は混雑が予想されます。
ぜひ、今週中にご覧下さい。
チケット予約フォーム は https://www.quartet-online.net/ticket/abesada2014?m=0abjgca …
※当日券は13時より発売 。ふらり早稲田へ!早稲田は1番出口右へ30秒!
作:佐藤信、演出:西沢栄治、
音楽:諏訪創、プロデューサー:流山児祥@スペース早稲田
文化庁・日本劇団協議会主催の新進演劇人育成公演だが、上演主体はほとんど流山児★事務所のメンバー。この「阿部定の犬」は1975年に上演した黒テントの佐藤信の喜劇・昭和の世界の第一作だ。
この作品を西沢・諏訪がまったく新しい全編音楽が渦まく音楽劇に仕立て上げた。オールドファンには、開幕の舞台の立て看板には”世界は概ね昭和十一年だった”と黒々と大書されているが、その十一年生まれのオールドファンには、初演の「あたし」役の新井純の輝かしさと、佐藤の作詞につけた林光の音楽が忘れがたいのはか仕方がない・・が、この舞台も若いメンバーの一糸乱れぬ熱のこもったシテージで、なかに年かさの流山児や龍昇も渾身の汗を流し助力した・・・。
テーマは天皇制とエロス・・。流山児は書く、”日本人のカラダに染み込んでいる天皇制国家と切り結んだ阿部定=不服従のエロス。ファシズム=戦争する国家のへの足音が聞こえる<現在>わたしたちは「不服従の犬」である”
言わずもがだが、阿部定は愛人を熱愛するあまり、愛人のオチンチンを切って愛蔵した昭和の烈女である。
今から遡る事39年、黒テントが設営された場所はどこだったか覚えてないが、クルト・ヴァイルの「三文オペラ」の曲に新たな歌詞を付けて歌う、新井純・斉藤晴彦両名の姿に心踊らされた記憶は残っている。
今回は「マック・ザ・ナイフ」だけを使用していたようだが、新たな作曲を手掛けた諏訪創氏の曲も耳に馴染む。新進演劇人育成公演との事だが、ベテラン俳優陣に交じって若手たちが頑張る姿は、観ていて気持ちいい。 ただし、小道具に昭和天皇の等身大の写真が用いられているが、終演後の初日乾杯で話をした演出の西沢氏によると、若い役者たちは当初その写真が誰だか判らなかったそうだ。
ラストで昭和天皇崩御のアナウンスが流れるが、実際の崩御はそれから13年後。 平成生まれの若者たちには昭和天皇が誰であれ、素晴らしい戯曲には体が敏感に反応するようだ。
昭和は遠くになりつつあるが、昨夜は、26歳寸前の僕がそこに居た。
唐十郎氏の作品は多くの劇団や学生演劇で繰り返し上演され続けているが、 佐藤信氏の初期作品も多くの劇団で取り上げて欲しいものだ。 青春は永遠なり!公演は22日まで。
「阿部定の犬」…古いけど古さを感じさせない、古くて新しいザ・アングラ音楽劇…1975年(←私が2歳の時でした!)に書かれた戯曲とは思えないほどパワフルで明るい。
ネタバレになるので詳しくは避けますが、それぞれのキャラクターの個性がものすごく痛烈で、それを観ているだけでもすごく楽しかったです。
阿部定=「あたし」は実在の人で愛人の男性の生殖器を切り落とすという猟奇的な事件を起こしているから私の中ではとてもダークなイメージがあったのだけど、この物語に出てくる阿部定さんは恋に一途などこか憎めない女性だと感じました。
そのあたりは「あたし」を演じた山崎薫さんが素晴らしかった!
今日は「阿部定の犬」の作者・佐藤信さんも観にいらっしゃってました…が、やはり小心者の私は声がかけられませんでした。
初日の今日がものすごくパワフルだったから、公演が進むにつれてさらにパワーアップするんでしょうねぇ…楽しみ。
「阿部定の犬」が一番阿部定リアリティーからは遠いはずなのに、そこにいたのはやっぱり定だった。顔の造りとかもかなり似てるけど、佇まいとか男に向ける視線とかが、「定だ!」と感じられるような、定イズムで惚れ惚れ。見事だったなあ。
「阿部定の犬」では、役者・流山児祥が観られる。個性を押し出して俺様顔じゃない、謙虚で誠実な役者の顔をしてる。若手がそれを支え、目一杯突っ張って前に出てくる。リアルだとかナチュラルだとかに縛られない、パワーとしての圧倒的な存在が物語に溢れる。
見事だなあと感心したのは、演出の西沢さんが、政治的なことや思想的なことを無視するわけはいかない佐藤信戯曲を、するりと軽やかに、戯曲まんまに今の「背負えなさ」で乗り切ったこと。
(小説家・劇作家・演出家・女優:前川麻子)
「6月6日夕刻6時の金曜日、豪雨。
Spase早稲田では「阿部定の犬」のゲネプロを一時間後に控え、小さな劇場空間が大きな緊張感で満ちていた。
舞台には「世界は概ね昭和十一年であった。」と殴り書かれた白い敷布が下がっている。そして電柱。ブリキの三日月。街頭写真師、首っ玉にぶら下げた旧式の携帯写真機。
「戒厳令」
「施行中であったにもかかわらず」
「帝都では、女たちがつぎからつぎへと妊娠していた」
「阿部定の犬」が始まった。
226事件のあった昭和11年。鬱屈した世相の中で、不条理満ちた世界の中で、それでも人は生き抜こうともがく。そして死に向かうにも真剣だ。
劇が終盤に差し掛かろうという頃、僕は気づいた。どうやら今も概ね昭和十一年なのだと。なにもかわっちゃいないのさ。
面白い作品だ。これは観た方がいいと思う。
BY日刊ゲンダイ 山田勝仁
昨日はSpace早稲田で公益社団法人日本劇団協議会・日本の演劇人を育てるプロジェクト・新進演劇人育成公演・俳優部門「音楽劇 阿部定の犬 〜喜劇昭和の世界〜」(作=佐藤信、演出=西沢栄治)。
いわずと知れた68/71黒色テントの「喜劇昭和の世界」三部作の第1作で、75年の初演。全国オルグ公演で北海道から九州まで回り、短期間の動員数でも「最長不倒」記録を残し、今もそれは破られていないといわれる傑作中の傑作。
この頃の黒テント人気は紅テントのそれとはまた違う熱気が渦巻いていた。公演は俳優、スタッフが全国に散らばり、地元の若者を巻き込んでの「オルグ」によって実現された。
北海道公演では地元興行師にショバ代を要求され、劇団員が拉致されたとか、九州公演では銭湯に現れた役者集団にクリカラモンモンのはぐれヤクザが恐れをなし、「組があるやつはいいよなあ」とうそぶいたとか、その手のエピソードには枚挙のいとまがない。
残念ながら私が黒テントを初めて観たのは三部作3作目の「ブランキ殺し上海の春」だった。噂に聞いた清水紘治と新井純の艶姿を初めて目にした衝撃は昨日のことのように思い出される。
「阿部定の犬」は82年の再演(加藤直・佐藤信共同演出)を俳優座劇場で見ている。
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さて、「阿部定の犬」は2・26事件と同じ年に起こった猟奇事件、酌婦・阿部定が起こした情夫・吉蔵の性器切り取り事件をモチーフにした作品。
Space早稲田の狭い舞台の上手に、台本通り、「腕木にブリキの三日月を吊り下げた電信柱が一本」立っている。ここは架空の町「東京市日本晴れ区安全剃刀町オペラ通り一丁目一番地」。下手から首にカメラをぶら下げ、客席をなめ回すように登場する男。
やがて、ひととおり客席を巡ると、舞台に進み寄り、「鳩が出ますよ!」と一声。暗転。
「戒厳令」「施行中であったにもかかわらず」「帝都では、女たちがつぎからつぎへと妊娠していた」というナレーション。
灯りがつくと、舞台には妊娠中の女たちが身もだえしている。産まれた子が男なら30円、女なら160円。この時代、男は兵隊にしかならないが、女は子を産み、娼婦にもなる。女の方の価値が高いのだ……。
82年に上演された舞台を見ているのに、ほとんど内容を思い出せないというのは、アングラ演劇は「物語」ではなく「情念」だったからで、当時の観客も「意味は全然分からないんだけれど、見終わったあとにわけもなく興奮する」というのが正しいアングラ劇の観方だった。
上演時間1時間45分。「あたし」=阿部定(山崎薫)と彼女を取り巻く娼婦と男たち、堕胎を逃れて母の胎内から出てきた「万歳」、操り人形のような「死体」、「先生」と呼ばれる男たちの、にぎにぎしくも猥雑な物語が音楽(黒テントは三文オペラのクルト・ワイル、今回は1曲をのぞき諏訪創のオリジナル)と歌とともに展開する。「死体」の扱われ方は、つげ義春の「通夜」と似ているが、つげ作品は70年。もしかしたらどこかでイメージが重なってるかも。
全編に貫かれる「性」と「政治」の対立。最後に「権力の象徴」を撃ち抜くのは阿部定が懐に隠し持った、切り取られた男性器。それは銃に変容しているのだ! 阿部定という「エロス」が天皇制国家主義という大量の死を内包する制度を撃つ。まさにエロスとタナトスの相克。その革命幻想がこの作品に通底する意志と思想なのか。
というような、難しいことを抜きにしてもこの芝居は面白い。
舞台下手奥に鎮座する軍服姿の昭和天皇のパネル。若手の役者の多くはこれが誰だかわからないとか。「昭和」が終わって25年。まあ、そんなものか。
その「昭和」が終わる15年前に、すでに「昭和」の終焉を舞台で見せた「阿部定の犬」。しかし、それは武力によるものではなく、いわば自然死に過ぎないのだが。 このあたりが「風の旅団」の反天皇劇との違いか。
演出の西沢栄治は07年の「罪と罰」あたりから見始めて、そのスピーディーで切れのいい、センスフルな演出のファンになった。今回もこの難物を手際よく演出、原作のエッセンスを伝えていた。
役者陣も山崎をはじめ、谷宗和、五島三四郎、神在ひろみ、小林七緒などひとクセもふたクセもある顔ぶれ。鶴蔵役で龍昇が久しぶりに流山児祥と共演。春野役は野口和彦。先生に流山児祥。老いも若きもみんなが70年代演劇の金字塔たる作品を生き生きと楽しんでいた。(22日まで)