遊戯のような夢:流山児★事務所の『西遊記』を見て
2018年8月30日
「北京日報」:穆鴻逸
劇場に行くと天野天街さんが外の片隅で黙って煙草を吸っていた。そして楽屋へ行くと、流山児祥さんが衣裳を着て、私の横を通り過ぎた。流山児★事務所の『西遊記』の開演の1時間前に、私はこの舞台の可能性について脳内で繰り返しリピートするように想像していた。日本人の目には、この古い冒険物語がどう映っているのだろうか?
まったく想像することができなかった。
唐の三蔵法師が天竺にお経を取りに行くこの物語は、宋、元の時代にはすでに小劇場で上演されていた。明朝の金陵世徳堂がこの豪華で巨大な物語『西遊記』を出版してから、400年間にわたってこの物語は。数々の劇団によって絶え間なく伝承され、アレンジされ、その時代時代の観客を魅了してきた。西遊記は広く知れ渡り、どの国の人も「大閙天宮」と「三打三調」と「真偽美猴王」のあらすじを知っており、今の時代にヒットする『西遊記』の舞台化をするということは、大きなチャレンジであると言える。
流山児★事務所の『西遊記』を見て、これは今までの中で最も優れた『西遊記』だと思った。その内のひとつではない。劇作家の天野天街さんのこの中国人なら誰でも知っている物語への理解は私の想像を遥かに超えていた。演出家の創意工夫は巧妙に原作の物語を切り刻み新たに構築し直し、繋ぎ合わせ、まるで西遊記への興味を麹に変えて、それを奇想天外の米の中に放り込み醸造した永遠のループという美酒。そして同時に劇場で観客はこの真新しい物語に、息つく暇なく笑い続け思慮し続ける。
この2時間に及び舞台『西遊記』の中に既成の様式化された妖怪退治などは全く見られない。原作の物語さえも完全に夢幻泡影となり、ただ旨みのみが残っている。そしてこの芝居は『西遊記』の中の真の『西遊記』スピリッツを持っている。幻想、奇想、空虚、歓喜全てが揃い、観客の笑いの中に不条理を感じさせ、何度もリピートするシーンでは、目まぐるしい変化が起こり、何が真実なのかつかめないという、『般若心経』のまた即是色、色即是空」の一部も体現している。日本風のユーモアのスタイルを使いながら、人々にナンセンスの中から生まれる快楽、そして快楽から生まれるやるせない悲哀を生み出している。
天野天街さんは始まりも終わりもない『西遊記』を作りたいと言った。それは孫悟空は永遠に生き、死なないから。永遠に生き、死なないというのは永遠に災難から逃れられないということである。天野天街はこの点から、終わらない物語の着想を得ている。リピートやループという手法の映像作品はたくさんある、しかし『西遊記』というテーマに置いてそれをこれほどうまく融合させているのはこの天野天街の腕である。釈迦に化け、孫悟空を人生という大きなリピートに陥れ、闘う、殺す、救う、迷う、闘う、殺す、救う、迷う・・・といった無数のピースを飽きることなく、長い原作の九千九百八十一に対して新たに独特の還元する(元に戻る)という方法を作りだした。
孫悟空の運命は、まるでイリュージョンのようで、また呪いのようである。彼はただ西に向かって歩いているだけであるが、孤独に冷静に永遠に到着することのない天竺に向かう途中の途にいる。無限のループはまるで原作の膨大な妖怪退治を象徴しているようだ。これも天野天街さんのこの物語が永遠に存在することを願っていることの表現である。
中国の観客にとって言うと、武玉江博士が台本の台詞を一つ一つ丁寧に、原文に合わせて古風に優雅に、地に足がついたように推敲している。字幕は一瞬にして理解し、笑えるようになっており、この芝居の総合点に加点をしている。このような原作に忠実な台詞の翻訳はこの作品の深みを増している。
この芝居に登場する役者は多くはない、流山児祥さんも幾つかの役を演じ、素晴らしかった。これらの役者の芝居は、迫力があり、意図的に一人何役も演じている。女の子がおばあちゃんに変化するのは、ヘアピン一本を抜いただけで、自然に表情が変わる、全く持ってすごい。
挙げておかなければならないのは、芝居全体の特殊効果は全て「三文特殊効果」である。耳から出て来る如意棒、誰かが殺された後の砂嵐映像、プロジェクターで投影する悟空の筋斗雲など・・・観客に「やすっぽさ」を感じさせないわけにはいかない。私はこんなに創意工夫に満ち効果抜群の「三文特殊効果」を見たことがない。現金を一千万円燃やすにも勝る――演劇は映画ではない、一千の軍勢も一万匹の馬も必要はなく、バランスがとれていることと、アンバランスなことの落差、それこそが一番の特殊効果なのである。
最後のシーンの妖怪の大群、もしくは群衆の乱舞では、全員が緊箍児を付け、皆が孫悟空になり、全ての人が現在に閉じ込められる。そして私たち自身が「この山の中」で迷っていると、幕が振り落され、青い地球が現れる。この奇怪劇はすでに地球の範疇を越えて大千世界の領域に突入していたのである。ちっとも不可思議ではない、それは混沌の始まり――それは我々には理解しきれない、永遠と無限のこの世のようだ。
遊戯のような夢、西遊記の道はすでに400年という年月を歩き、これからも悲喜こもごもに歩き続けるのだ、永遠の途中を、永遠にたどり着くことのない天竺に向かって。この天竺こそが、原点で、始まりで、心であり空(くう)である。
この永久の悲哀の中に、私は詩的に思う。――― 人はみんな心の中に猴を一匹飼っている。それは猿の化身かもしれないし、自分自身かもしれない。
終演後、劇場を出ると天野天街さんは、劇場の外で黙って煙草を吸っていた。そして衣裳を着た流山児祥さんが、私の隣を通り過ぎた――これは本当に――いい芝居だった。
はい、これが昨日:9月2日(日)武漢@中南劇場大千穐楽『西遊記』恒例の記念撮影です。
みんな元気です!とにかく、ぴちぴちの若者中心の500人余の客席でした。
ゲストの若手劇団も一緒に1,2の3! 有難う武漢!!
『西遊記』は3年前の2015年9月1日Space早稲田で稽古インして、四日市で初演⇒津市芸濃町⇒下北沢ザ・スズナリ⇒ジャカルタ⇒ジョグジャカルタ⇒ボロブドゥール遺跡(世界遺産)⇒バリ島⇒バンコック⇒対馬列島⇒五島列島⇒北京⇒成都⇒武漢とアジア13都市を回って、まだ「旅の途中」です。
あなたの街に呼んでください!!...

この秋はスズナリでお会いしましょう。
わたしたちは元気です!!

9月1日(土)字幕が見にくい(大劇場なので光量の問題)何とか改良する。
いつものように稽古。
ラジオと新聞の取材2本はいる「世界を旅することの面白さと武漢の街で博奕に興じる庶民の姿に死んだ母の姿を見た」と答える。
武漢公演2日目500余の観客で埋まった客席。
子供の笑い声が絶えないステージとなる。
それにしても役者たちの集中力と爆発力たるや半端ない。
一切手抜きなしの真剣勝負!終演後、武漢人芸のゼネラルマネージャーと会う。
明日は、千穐楽!長いツアーの終わりである。

成都である。3日分の長い長い報告です。
当初は四川人芸関係の劇場で上演予定であったが国家主催の演目が入って急遽、成都理工大学実験劇場に変更して上演許可を待っていた。
23(木)仕込搬入の時、やっと「上演許可が下りて」作業開始。580席の新しいがなかなか使いづらい、スタッフ泣かせの小屋である。が、そこは百戦錬磨、何とか乗り切る。だが、初日まで2日間48時間で580席をどーやって埋める?というのだろう?
24(金)はハードなスケジュール。
明かり合わせ中に急遽、地元成都テレビの取材が入った。初日まで3日しかないので四川人芸の皆さんも「必死な宣伝」である。なんとか夜の8時半のニュースで流したいということでSceneをピックアップして撮影してもらう。わたしとアマノはインタビューと雑誌の取材。なんとか明かり合わせ終了。レンタルの劇場なので使用時間も厳しい。それでも最高のパフォーマンスを創るために頑張る。アマノワールドを支える最強軍団はこの4年間のツアーで確実に進化している。
25日(土)成都初日。「凄い勢いでチケットは売れてます、きっと、7割は埋まりますよ」との事。
ええッ!たった2日!で、と吃驚する。
17時過ぎ開場2時間前に実験劇場の表玄関に巨大な立て看板が立てられた。もう、多くの観客が集まっている。
見ると、第2回成都演劇祭☆双白記のオープニング作品に『西遊記』の名前が!!
勿論、チラシもポスターもなし。だが、演劇祭のチラシだけは急遽刷り上げて本番までに間に合った。本来、成都演劇祭は9月開催だが、急遽2日前に決めて宣伝を開始してくれたのである。演劇祭の看板だけで、嬉しいものだ。
四川人芸とユエンホンの協力には頭を下げるだけである。
開場した。劇場に入る時は厳重な荷物チェック。10分押しで開演。本当に7割の観客、400人を超す!観客である。580席の客席の真ん中部分はすべて埋まっている。凄い!の一言、
感謝の一言である。
観客の反応はものすごくいい。ゲストは成都の若手「変臉:へんめん」劇団。『西遊記』は必ずご当地途中にゲストを芝居の真ん中部分に入れることにしている。それは、虚構の中にその土地土地の芸能や生活の風景を挿入したいからである。イワヲのスッポンのSceneは北京を上回る大拍手と大笑いの連続であった。
アフタートークも愛情あふれる質問であった。
成都の町の人たちは実に素朴でのどかである、それにしてもここはジャカルタの下町に似ているな。
明日も頑張ろう!こんないいお客さんのために!
26(日)
初日を無事に終えてユエンホンがメンバー全員をランチに招待してくれた。成都の中心街の豪華なレストラン。文化人のサロンらしく書店のカフェもステキである。
アマノは早速昔の宣伝画の書を買い求めている。レストランから徒歩10分のところに三蔵法師が得度した大慈寺の名刹がある。ユエンホンが今朝お寺に行って旅の安寧を願ってお札を全員に買ってくれてプレゼントしてくれた。こういった気遣いが中国の人は本当にすごい!四川料理の贅を尽くしたフルコース10種類ぐらいすべて美味である。四川人芸の孟さん(中央戯劇学院でイーランの後輩)と成都の演劇事情について話す。
成都演劇祭は一度2年前に演劇人主導でない形で始まったがうまくいかなくて今年から四川人芸の主催で始まったとの事、中国では各省に人民芸術院があって演劇センター的意味合いで活動をしている。因みに理工大学実験劇場で本格的に演劇をやるのは『西遊記』が初めて、つまり今回が「杮落とし公演」だったのである。「成都の演劇がさかんになるといいですね、出来る限りの協力します。」と約束する。
今日も、一生懸命宣伝してお客さんを呼びますからという孟さんの言葉に恐縮する。ユエンホン自ら最後にはプーアール茶を入れていくれた。15時劇場集合、掃除、駄目だし。いつものように稽古とダンス。劇場前で現地スタッフと一緒に全員で記念撮影。なぜか、いつもの様にアマノは昆虫採集に行っていて欠席。彼には何故か海外に行くと必ず昆虫を探しに行く習性がある。
さて、開場時間である。
イッパイお客さんが来ることを願って・・・・。
で、実際にほぼ8割近い観客が来てくれた。凄い事が現実に起こった。
で、恒例の記念撮影。4日前には絶対に客は来ないと思っていたのに・・・
奇跡は起こるのである。有難う成都!!

成都である。 当初は四川人芸関係の劇場で上演予定であったが国家主催の演目が入って急遽、成都理工大学実験劇場に変更して上演許可を待っていた。
23(木)仕込搬入の時、上演許可が下りて作業開始。580席の新しいがなかなか使いづらい、スタッフ泣かせの小屋である。が、そこは百戦錬磨、何とか乗り切る。だが、初日まで2日間48時間で580席をどーやって埋めるというのだろう?
24(金)はハードなスケジュール。明かり合わせ中に急遽、地元の成都テレビの取材が入った。初日まで3日しかないので四川人芸の皆さんも「必死な宣伝」である。なんとか夜の8時半のニュースで流したいということでSceneをピックアップして撮影してもらう。わたしとアマノはインタビューと雑誌の取材。なんとか明かり合わせ終了。レンタルの劇場なので使用時間も厳しい。それでも最高のパフォーマンスを創るために頑張る。アマノワールドを支える最強軍団にこの4年間のツアーで確実に進化している。
25日(土)成都初日。「凄い勢いでチケットは売れてます、きっと、7割は埋まりますよ」との事。
ええッ!たった2日!で、と吃驚する。
17時過ぎ開場2時間前に実験劇場の表玄関に巨大な立て看板が立てられた。もう、多くの観客が集まっている。
見ると、第2回成都演劇祭☆双白記のオープニング作品に『西遊記』の名前が!!
勿論、チラシもポスターもなし。だが、演劇祭のチラシだけは急遽刷り上げて本番までに間に合った。本来、成都演劇祭は9月開催だが、急遽2日前に決めて宣伝を開始してくれたのである。演劇祭の看板だけで、嬉しいものだ。
四川人芸とユエンホンの協力には頭を下げるだけである。
開場した。劇場に入る時は荷物チェック。10分押しで開演。本当に7割型の観客、580席の客席の真ん中部分はすべて埋まっている。
凄い!の一言、感謝の一言である。
観客の反応はものすごくいい。ゲストは四川省川劇の編面劇団。
『西遊記』は必ずご当地途中にゲストを芝居の真ん中部分に入れることにしている。 それは、虚構の中にその土地土地のの芸能や生活の風景を挿入したいからである。 イワヲのスッポンのSceneは北京を上回る大拍手と大笑いの連続であった。
アフタートークも愛情あふれる質問であった。
成都の町の人たちは実に素朴でのどかである、それにしてもここはジャカルタの下町に似ているな。 明日はユエンホン主催の昼食会、成都はプロデューサー:ユエンホンの故郷である。
明日も頑張ろう!こんないいお客さんのために!