日本劇団協議会主催・新進演劇人公演『腰巻お仙〜振袖火事の巻〜』(唐十郎:作、小林七緒:演出、流山児祥:プロデューサー)本日:12月16日(日)お昼の回で全15ステージ満員御礼で無事終演です。
50年前の唐十郎初期の名作を「役者・スタッフ一丸となって自分達の「今の物語」にすることに勝利した舞台」(渡辺修)、とりあえずの序章です。
来年は第二弾『少女都市からの呼び声』を予定しています。
早稲田の小空間に鮮烈に生まれ変わる「わたしたちの今」のものがたり。ご期待ください。
『腰巻お仙』本当に多くのみなさんのご来場とご支持に出演者・スタッフ一同厚く御礼申し上げます。
流山児★事務所次回公演は2019年2月1日(金)〜10日(日)全12ステージ
清水邦夫の名作『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』を西沢栄治の演出で上演します。
座・高円寺で新春にお会いしましょう。
撮影:横田敦史

これもステキな「劇評」です。BY渡辺修(俳優)
久し振りに斎藤美奈子さんの「日本の同時代小説』を読んでいる。イヤー快刀乱麻。バッサバッサに切りまくる。「浮雲」は『へたれインテリ』の戯言扱い。(そう書いていたかは定かではないが)純文学も同じようにへたれインテリの自意識過剰なオナニー扱い(と誤読したかもしれない)。それに対抗してのプロレタリア文学。さも労働者のリアリティーの優越制をバックにして文学しているようだが所詮はインテリの自己証明とにべもない。この本は「純文学論争」以降の『同時代小説』の話がメインなのだが未だそこまで読み進めていない。
そんなことを連想しながら観てしまったのが、昨日の流山児★事務所『腰巻お仙〜 振袖火事の巻〜』なのだが、アングラ演劇があの時僕たちの共感を得たのは既成新劇の教条主義的説教臭さだったし、そんな時に現れたやさぐれ無頼派演劇人達によって起こされた一斉蜂起的パラダイムチェンジだった。と、これまた僕の一人合点かもしれないが、地方の無知な痴呆高校生にはそう思えた。
「振袖火事」は「明暦の大火」で江戸の街造りの大転換になった大火事で江戸城天守閣も燃え、それ以降再建はされなかったし、新吉原への移転もこの時に行われた。
唐さんが「振袖火事篇」としたのは花園神社を追い出されて新宿という街を、イメージの大火で焼き尽くして焼け跡闇市の世界の復活を夢想したのかもしれない。この芝居が上演された時でも十分に時代がかった焼け跡の戦後のイメージだったはずだ。
あれから50年経ち、オープニングの(あの時の出演者である)鷹さんと山丸りなさんとの出会いから始まり、ラストの別れに終わる円環的仕掛けは「腰巻お仙」の郷愁的再演ではなく、新しい読み替えによる演劇の出発への決意にも見える。
確かに振り落とされた白幕の後ろに現れる目眩く唐世界は驚驚しいアングラ的装いだ。けれども、無垢なる少女「仙子」が娼婦となって舞い戻り、彼女を救えなかった幼馴染みの芳一が自衛隊員となって舞い戻っても、日本帝国復活を願うドクター袋小路に絡めとられるという芝居の筋の辻褄をいちいち追っていっても追い付かないほどの唐ワールド全開のイメージの奔流に身を任せて、台詞の強さに圧倒されながら観ていると、この時代の物語として見え始めてくる。
娼婦となり堕胎児達を引き連れ、最後に裏切られようと、彼女の「肉体」の絶対的肯定によって「右」も「左」もなく「感傷的ヒューマニズム」も、まさに「へたれインテリの泣き言」も凌駕する少女の「無垢」の力が再生を作ってゆくと誤読して、劇場を後にした。
役者スタッフ一丸となって自分達の今の物語にすることに勝利した舞台だった。

*唐十郎作 小林七緒演出 スズキ拓朗振付 公式サイトはこちら Space早稲田 16日まで
文化庁委託事業「平成30年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」日本の演劇人を育てるプロジェクト 新進演劇人育成公演 俳優部門…という長い前書きがあり、流山児祥がプロデューサーをつとめる。
公演の主催、概要が具体的にどういうことを指すのか、携わる俳優やスタッフにとってどのような意義を持つのかは実はよくわからないのだが、文字通りと受けとめた。1969年、機動隊が紅テント周囲を包囲する中、新宿中央公園で決行された、状況劇場初期の伝説の物語。俳優は、育成対象とされた数人の若手に、中堅やベテランまで、流山児事務所、柿喰う客、Studio Life、劇団わらく、サスペンデッズなどさまざまな劇団から参加しており、さらに大久保鷹までが揃うという大変な座組である。故障して送風しか出ない空調と、ほぼ満席の盛況ゆえ、劇場の温度、濃度は芝居の後半からしだいに高くなり、身体的に辛かったことは確かだ。終演後、暑さや疲れ、空気の悪さに「やれやれ」といった雰囲気もあった。しかしそれが吹き飛ぶほどの手ごたえ、高揚感に満たされる一夜となった。
唐作品には劇中にしばしば歌う場面がある。歌いづらいメロディであり、といってミュージカルのように歌い上げるものでもなく、俳優にとってはひとつのハードルであるだろう。台詞にしても、呼吸とのバランス、リズム、息継ぎなど容易くはない。それでも「この芝居をやりたい」というエネルギーがすべての俳優から強く発せられており、客席にも「この舞台を見たい」という熱気が漲る。唐十郎作品の持つ力は演じ手、受け手双方に半端ではない熱量をもたらすのである。
例によって物語の構造は簡単に理解できるものではなく、場面転換や人物の出入りも目まぐるしい。舞台に身を委ねることで精一杯の観劇であった。1969年の初演との比較ができないのに心に沸き起こる懐かしさ、同時にノスタルジー満載の物語設定にも関わらず、そこからにじみ出て、しばしば客席に襲いかかるような新鮮な毒気は何なのだろうか。今回が初めての方、これまで別の公演で何度か拝見した方と、俳優との出会いもさまざまだが、いずれも「こんな演技をする俳優さんなのか」という驚きや、唐十郎の劇世界に数十年間棲みついているかのような大久保鷹を相手に、一歩も引かない堂々たる演技を見せる若手を見ると、次の出演作がいちだんと楽しみになるのである。
2018-12-7 『腰巻お仙 振袖火事の巻』@Space早稲田 観劇。
50年前、事件となり伝説となった状況劇場『腰巻お仙 振袖火事の巻』(1969年1月公演)。
その初演舞台に立った大久保鷹さんは、本作のアフタートークで満員の観客に向かって熱く言い放った。
---今日この作品をご覧になってわかったでしょう。これは『今』のことなんだってことが!
そしてもう一つ重要なことも。
---唐さんの戯曲は訳が分からないと言われる。けど、演ってみるとわかるんだ。どんな些細な台詞でも一本ピーンと筋が通っていることが。貫通しているんだよ!
本作の貫通行動は「今」を映し、「今」をも貫く。
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劇中、エノケンこと榎本健一の『これが自由というものか』(1954年、作詞作曲:三木鶏郎)が何度も歌われる。
戦後10年の世相を映したこの「冗談ソング」は
♪知らない間にモルモット、知らない間に水爆病、
知らない間に値上げして、知らないにMSA(相互安全保障法)、知らない間に機密法、
知らない間に税金で、知らない間に自衛隊。
これは呆れた驚いた、何がなんだか分からない、これが自由というものか♪
と、呆れ驚くほど現在の世相を反映している歌だ。
あるいは、日露戦争へ征った弟を詠んだ与謝野晶子『君死にたまふことなかれ』の歌唱は、戦争準備、海外派兵へと突き進む現政権の暴走を嘆じているかのようだった。
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世相を映す本作は、一方で唐十郎が「特権的肉体論」を確立した時期の『腰巻お仙』シリーズを集大成する作品である。
初期の別役実に影響を受けた不条理劇的作風と、1970年代に入って『唐版 風の又三郎』でひとつの頂点を極める唐ワールドのほぼ中間に位置する劇作といえるだろう。
そこには特権的肉体への当て書とも思える「強烈な遊び心」と唐十郎独自のキャラクターや表象の「原型」が「過剰に」ひしめいている。
たとえば、
汽車の中で子供を堕ろし、仙台から上京した仙子。
その堕胎児は三つの分身となり「探偵・明智小五郎です」と名乗り仙子に迫る。「探偵・明智」は後の唐アイテム「帝国探偵社(テイタン)」を連想させる。テイタンは唐ワールドでは「地獄・冥府」の象徴であった。
戦うことを拒み、武士の身分を捨てて平和を求めた「笛吹童子」。
仙子の幼馴染である円谷芳一は、その名の通り「耳なし芳一」であり、1964年の東京オリンピック、マラソンの勇者・円谷幸吉である。
弟を死なせたオカマ。
そして、謎の塾講師は特攻隊の生き残りにして悪徳医師であった。
芳一の父も戦艦大和の生き残りで、この世の法則と逆の世界に住み、エノケンの冗談ソングを歌い続ける。
悪徳医師を♪ローレンローレンと鞭打つドSな看護婦たち。。
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こうしたバラバラに見えるキャラや表象が「演劇」という装置の上で出会い、どんな動きをして、当時の世相を、今日の世界を貫通していくのか。
「あらすじ」を追うとつかみにくいことは確かだが、ひとたび劇的想像力が喚起されれば、痛快至極の「過剰で過激な芝居」が展開されていく。
怪優による怪演もある。ドタバタ・ナンセンスもある。
小林七緒演出は、それらを歌や音楽でうまく料理した。
唐戯曲の過剰さ・分かりにくさを減らす方向で演出を加えながら、巧みな舞台構成とキビキビした俳優の動きで壮絶な唐ワールドに我々を親しみやすく引き込んでくれる。
テント芝居のように舞台の奥は開かないが、ラストには劇が現実の新宿の街と地続きとなった。
公演は12月16日まで、Space早稲田にて。

いつもの様に、今村修(演劇評論家)の演劇と時代を読む「劇評」です。ありがとうございます。↓
日本の演劇人を育てるプロジェクト新進演劇人育成公演「腰巻お仙 振袖火事の巻」(作=唐十郎、演出=小林七緒)@Space早稲田
初演は1968年1月。新宿西口の新宿中央公園で上演許可が下りないまま、機動隊200人が紅テントを取り囲む中、上演を強行したという伝説の作品。リヤカーに道具を積んだ唐たちが厳戒の都庁職員や警察を引き付ける間に、トラックで乗り込んだ別働隊が瞬く間にテントを建ててしまったというから凄まじい。上演中止を命じる警察のスピーカーの怒号の中で上演を完遂、唐ら3人は逮捕された。それから半世紀、お仙の奏でる笛吹童子の笛の音が、早稲田の地下空間に蘇った。
幼馴染の片桐仙(山丸りな)に思いを寄せる少年・円谷芳一(祁答院雄貴)は、怪しいソロバン塾の先生(伊藤俊彦)から彼女を守れず、自衛隊に志願する。1年後に戻ってきた新宿の町で仙は、ポン引き(眞藤ヒロシ)と組んで客を引いていた。明智小五郎と名乗る堕胎児たち(成田浬、勝俣美秋、佐野陽一)の母と名乗る仙は、いつしかドクター袋小路の精神病院に。一旦は病室を抜け出し芳一に助けを求めるが、袋小路の奸計によって阻まれてしまう。
と、むりくり筋立てを書き連ねてみても、この劇の世界はほとんど伝わらない。唐の初期戯曲にお馴染みの床屋(中原和弘)と永遠の客(山下直哉)や、妖艶な毒花・西口おつた(江口翔平)、仙の育ての親の爺(大久保鷹)ら、いずれ劣らぬ百鬼夜行な人物たちも登場して、難解にしてナンセンス、猥雑にして神聖なドタバタ騒ぎが繰り広げられる。
1969年といえば、5年前に東京五輪があり、翌年には大阪万博を控え、世間は高度経済成長に浮かれ、一方で大学闘争や70年安保闘争で街が沸騰していた時代。戯曲にも随所にその名残が感じられる。お仙が引き連れる堕胎児たちは、経済発展の陰に押しやられ、踏みつけられ、忘れられてきた者たちの怨念なのかもしれない。3幕と4幕の間で演じられる幕前芝居は、紅テントを花園神社から追い出した新宿の街の「浄化運動」に対する痛烈な悪罵だろう。
まるで先の読めない破天荒な物語の進み行きは多様な妄想を掻き立てる。例えば「お仙」とは何者だったのか。初期の唐戯曲に特徴的な登場人物、ジョン・シルバーとお仙をそれぞれ男性原理、女性原理という人間内部の二つの力学の対立・拮抗・円環と読み解いたのは扇田昭彦氏(冬樹社「唐十郎全作品集 第一巻」改題など)だったが、その顰にならって更に妄想を膨らませれば、お仙は革命幻想に読み替えられないだろうか。当時の反体制運動はベトナム反戦などの平和運動に一つの淵源を持ち、男性原理の権化ともいえる社会の権威や秩序に立ち向かった。それを突き動かしたものは、共産主義理論である以上に情念であったようにも見える。だが、終盤堕胎児たちは反逆し、お仙に襲い掛かる。それは、自由、平等を標榜した運動の中に、いつしか権力闘争や支配といった男性原理的なものが忍び込み、母体である運動そのものを食いつぶして行った成り行きに符合する。だとすれば、運動がピークを迎えていた1969年にすでにその行く末を予見していたことになる。血みどろの惨劇で、多くが死に絶えた新宿の荒野に、お仙と芳一は一体何を見たのだろうか? と、妄想はこれくらいにして閑話休題。
演出の小林は、50年後の東京にこの作品を蘇らせるに当たって、初演を復元させる方向は選ばず、2018年の日本を投影する途を選んだようだ。開幕前から舞台幕に投影されている1960〜1970年代のニュース映像は、当時に観客を引き込むというよりも、その後に展開する劇との落差を際立たせる。劇中音楽も、歌詞はそのまま曲はすべて作り変えた(諏訪創)。ヒーロー・芳一は感情の起伏に乏しく、ヒロイン・お仙も溢れかえる情念や男を食い尽くすような剛さは持ち合わせていない。目くるめくような浪漫とカタルシスを期待すると肩透かしを食うかもしれない。かくも体温が低くなってしまった日本社会だが、五輪といい、万博といい時代は奇妙な相似形≠フ様相を呈してきた。いや、権力が理性を失っているだけ、より厄介な時代になっている。2018年の芳一は、この先どこに新たな戦場≠見出すのだろうか。
初演にも出演した大久保鷹が、已むに已まれず今回戯曲に付け加えた唯一の言葉「寒いよ」が、今の風景の荒涼を無惨なまでに言い当てていた。(敬称略)










現代演劇の「原点」=唐十郎初期三部作3年連続企画の第一弾
『腰巻お仙〜振袖火事の巻〜』16日(日)まで絶賛上演中です。
とにかく観てください「演劇の自由さ」が、溢れています。
流山児★事務所のホープ、山丸りな、山下直哉、星美咲、森諒介の4人も爆走していますよ。ぜひ、ご贔屓に。
当日券、5枚以上あります。
ぜひ、早稲田までおいでください。
日本劇団協議会主催・新進演劇人育成公演
『腰巻お仙〜振袖火事の巻〜』 作:唐十郎、演出:小林七緒、プロデューサー:流山児祥
12月4(火)〜16(日)@space早稲田で上演中。
わたしは台湾から一時帰国、明日は台北に還ります。
『藝大版☆十二夜』21日(金)@藝大戯劇廰公演初日に向けて追い込み稽古です。こっちもメチャクチャ面白いです!
本日:10(月)終演後、中日打ち上げやります。
一緒に呑みましょう。
撮影:横田敦史



『腰巻お仙』唐ワールドの「原点芝居」大好評のうちに12月16日(日)まで上演中です。
●ちなみに、わたしは1968年の2月・3月『由比正雪』花園神社公演の時、劇団状況劇場の研究生、20歳でした。春には青山学院大学の学生運動が激化し、青学全共闘副議長を務めていました。唐さんに「芝居をとるか、闘争をとるか?」と問われ闘争を取り研究生をやめました。1969年1月3日『腰巻お仙』西口公園強行上演の時は、8号館バリケード越冬闘争中でした。状況劇場の写真家で俳優でもあったIくんからバリケードに電話があって「防衛隊」として青学全共闘16人が西口公園へ行ったのです。小澤さんのFBの写真にも何人かが映っています。李さんと唐さんが公園条例違反で逮捕後、セットやテントを、麿さん、鷹さんたちみんなで阿佐ヶ谷の稽古場に運んだ鮮烈な記憶があります。その後も、西口の三光町パークという駐車場で『腰巻お仙』は2トントラックの上で上演され、その後、沖縄まで紅テント南下興行を敢行するのだが、この時期に、状況劇場研究生になったのが18歳の悪源太義平です。そして、1970年、私と悪源太、土方巽さんの元で修行していた北村魚たちと共に「演劇団」を設立する。わたしのアングラ演劇人生を決定した大事件が『腰巻お仙』新宿西口公園事件です。
これは、はるか50年昔の話です。
『腰巻お仙』全ステージ前売完売ですが、連日:当日券5枚近く、あります。ぜひ、早稲田までおいでください。
日本劇団協議会主催・新進演劇人育成公演
『腰巻お仙〜振袖火事の巻〜』 作:唐十郎、演出:小林七緒、プロデューサー:流山児祥
12月4(火)〜16(日)@space早稲田で上演中。
12月 9(日)台湾から一時帰国、早稲田で会いましょう。
10(月)中日打ち上げやります。一緒に呑みましょう。
撮影:横田敦史



『腰巻お仙』本日14時、3日目。唐ワールドの「原点演劇」大好評です。
前売完売!当日券3〜5枚あります。
日本劇団協議会主催・新進演劇人育成公演
『腰巻お仙〜振袖火事の巻〜』 作:唐十郎、演出:小林七緒、プロデューサー:流山児祥
12月4(火)〜16(日)@space早稲田で上演中。
12月 8(土)台湾から一時帰国します、早稲田で会いましょう。
10(月)中日打ち上げやります。一緒に呑みましょう。

お待たせしました、本日4日(火)19時『腰巻お仙』初日の幕が開きます。唐ワールドに役者スタッフ一同全身でぶつかります。
山丸りなと共に、もうひとりの「新星」祁答院雄貴:鮮烈の早稲田デビューです。ぜひ、その目で見届けてください。お待ちしています。
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日本劇団協議会主催:新進演劇人育成公演
『腰巻お仙〜振袖火事の巻〜』
作:唐十郎、演出:小林七緒、プロデューサー・流山児祥
12月4(火)〜16(日)@space早稲田で上演中
(東西線早稲田駅1番出口右へ1分、中華『北京』B!)
音楽:諏訪創 振付:スズキ拓朗
美術・舞台監督:小林岳郎 照明:横原由裕
音響:高塩顕 衣裳:竹内陽子 映像:浜嶋将弘 撮影:横田敦史
アシスタントプロデューサー:米山恭子
【出演】:祁答院雄貴・山丸りな・山下直哉・江口翔平・原田理央・星美咲/伊藤俊彦・成田浬・眞藤ヒロシ・勝俣美秋・佐野陽一・森諒介・中原和宏/大久保鷹
☆全14ステージ「前売完売」です。
☆13(木)昼のみ残券2枚あります。お急ぎください!
☆当日券・キャンセル待ちは開演1時間前より発売します
諦めずにおいでください❗



