★様々なる「劇評」その43 BY 田中伸子(ジャパンタイムス)
流山児事務所の「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」ーー
このカンパニーだから実現したバラエティーに富んだキャストが躍動、プロデュース公演の醍醐味。
オーディションしたジュリエットたちが圧巻ー良い意味で自己顕示(私はここにいる)が発散されていた。
★様々なる「劇評」その44 BYバードランド
流山児★事務所の『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』(清水邦夫作、西沢栄治演出)を見る。
まだ戦争の爪痕が残る戯曲だが、見ているあいだ、考えさせられることがあった。大勢のジュリエットが登場するのだが、彼女たちは役者であると同時に劇の登場人物でもある。
そして、わたしには舞台に出ている人たちが、役者であることと登場人物であること(具体的にはジュリエットであること)のあいだを生きる存在に見えた。そのうえ役者本人の人生まで考えるとさらに複雑さを増すが、そのなかでジュリエット役を生きることの困難さと生の複雑さが確かめられていく。
『ロミオとジュリエット』は神父の提案により、一度、仮死状態になることで、ロミオと生きることが可能になるはずだった。その計画は失敗に終わる。しかし、それを演じる女優たちは、舞台上でジュリエットとして永眠した後、自分たちとして覚醒し、踊り始める。
★様々なる「劇評」その45
CORICH舞台芸術 満足度★★★★ JOKEMAN
千秋楽に観劇。本戯曲は2009年にコクーンで蜷川演出を観たが、それとはまた違った味のある芝居になっていた。
客演の松本紀保の存在感が軸になっているが、圧巻は30人のジュリエットを多様に揃えたことだと思う。ある意味でアングラテイストを濃くしたものと言えようか。
優れた戯曲を優れた役者(とスタッフ)が演じれば、優れた舞台になるという典型だとも思った。
★様々なる「劇評」その46 満足度★★★★ BYASIST
1982年初演の清水邦夫作品は、大仰だが繊細な作風に時代を感じさせはするものの、人生における演劇というもののチカラを実感させてくれた。
役者陣。
出演される舞台にハズレなしの松本紀保さんと、伊藤弘子さんを初めとする流山児★事務所勢を中心に、宝塚OGの麻乃佳世さん、小劇場演劇畑の様々な世代の役者さんたちが醸し出す不揃い感・デコボコ感が、かえって空襲以降の30数年間という時代の重みを意識させてくれた2時間。
ラストシーン。老若男女の役者さんお一人お一人のお顔を、感謝をこめて改めて拝見させて頂いた。

CORICH舞台芸術の長編劇評 BY tottory 満足度★★★★
良い戯曲だと思った。
舞台という魔物、死と亡霊のイメージが『楽屋』に重なる。三十人のジュリエットの登場という所に、蜷川幸雄とのタッグならではの企画性も漂う。事実総勢30名が空襲に追われた難民のように左右から蠢き現われ、照明一転「シャクナゲ歌劇団」メンバー30年振りの再会の喧噪となる場面は迫力で、数の力を実感。その後も続く30名の登場場面は処理も大変そうだが、長いタイトルのこの芝居はそのための芝居だと言っても間違いでなさそうである。
ストーリー的には三十名は補助的なアンサンブルで、意味的には主役のジュリエット役(松本紀保)と重なるし、後半に導入される演出で大勢のロミオが戦場送りとなる場面に類似するが、役柄としては彼女らは女性のみで構成される石楠花(しゃくなげ)少女歌劇団の団員であり、観客の視線はストーリーを追うべく主要登場人物の方に寄る。
舞台には、宝塚にありそうな豪華な幅広の高い階段、舞台両脇に大柱、総じて大理石に見えるセットが組まれ、実はここは百貨店の1階という設定だ。現実の時空ではあるがこの場所は架空の世界を立ち上げるに相応しい舞台空間にも見えており、つねに完璧な衣裳で登場するヒロイン・景子の想念の強さによって「ロミジュリ」の劇世界と、その場を劇場と解釈する二つの次元の行き来を見ている気になる。そこへ介入して来る「現実」の時空は、この劇世界&劇場という次元を否定的に干渉する事はなく、むしろ組み込まれて行き、劇世界が貫徹されるまでが描かれる。この劇で流れた時間は言わば一つの鎮魂のそれで、戦争とそこから離れた歳月を偲ぶ構造を持つ。
30年前結成された歌劇団のヒロイン・景子が記憶を失い、今もジュリエット役の稽古をし続けている背景については最後まで一切語られない。が、「戦争」を思い出させる象徴として十分である。当時の応援団バラ戦士の会の元メンバーで今や町の有力者(龍昇、甲津拓平、井村タカオ、池下重大の取り合わせがまた良し)が、かつてロミオ役で人気を博した俊(しゅん=伊藤弘子)不在のため、男性禁制であるからか唇に紅、アイシャドーを塗ってタキシード姿であたふたと代役を務める。
中心に居る景子は時に激しい発作(自分を百歳のおばあさんのように見るのはやめて!と周囲に罵り狂乱する)をしばしば起こすが、暫くたつと全くしこりを残した風もなく登場し、「さ、稽古やりましょう」となる。リセットの力と主役で舞台をけん引した風格が周囲のモチベーションを引き出している所は強調されていないので記憶に残りづらいが、女優という限りにおいて絶えず前向きな存在を演じる松本女史の貢献は地味に大きい。
そこに舞台があり、そこで演じられる世界が(それが過去の事だったとしても)「ある」と信じる力は、前途ある若者の心を掴み、前を向いて歩ましめた明るい情景をみせたにもかかわらず、俊の登場によって曲りなりにも「ロミオとジュリエット」が終幕に導かれた直後、彼らに内在した「負」に報いるかのように、あれこれ言及する間を与えない「死」という方法で閉じ繰りが付けられる。
そこに物語世界が「ある」と信じさせる使命を果たして死に赴いた二人を、称揚する事が許される気になるのは何故だろう。自己言及式になるが(まあそういう舞台は多いが)演劇が成し得る仕事の貴重さ、大きさ、良さを信じるから、と言うと大仰だが、自分としては殆ど盛っていない。
★様々なる「劇評」その37
BY 才目謙二(演出家)
『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』
作:清水邦夫 演出:西沢栄治 芸術監督:流山児祥
劇作家が命を削って書いた作品を評するにはこちらも命懸けであるべきだろう。
演劇に触れたこともなく、大学に入って初めて観た学生演劇が東大劇研・高萩宏氏(現・東京芸術劇場副館長)が手がけた清水邦夫作『真情あふるる軽薄さ』であった。
その衝撃と演劇への「憧憬」が私の人生を変えたことは確かであるので、櫻社解散〜清水・蜷川の確執を超えて1982年に初演された本作も相応の覚悟で劇評を書こうと思って気構えていた。
…しかし、正直な感想を言うと、本作中、再結成をめざす「石楠花(シャクナゲ)少女歌劇団」の話が、高取英さんの「月蝕歌劇団」にダブって見えて仕方がなかったのである。
大輪の花を咲かせるシャクナゲさながら、ピンクのドレスを身にまとい、『スミレの花』ならぬ藤村の「石楠花の花さくとても故郷遠き草枕…」の詩を歌い踊る、三十人もの爛熟した石楠花少女歌劇団OGたち。
まるで月蝕歌劇団のOGたちがどこからともなく現れ出た趣きで楽しくて仕方なかったのである。
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「生きてるマネより死んだマネ」。
死んだマネして愛を貫く『ロミオとジュリエット』の物語に仮託して、命懸けで「夢」を見ること、砕け散ったガラスの城を一瞬でもつなぎ合わせてみようと、度し難い「夢想者たち」のこだわりに寄り添う本作。
戦地から盲目となって還ってくるロミオこと弥生俊には、謡曲『弱法師』俊徳丸のメタファーも含まれているのだろう。
劇は、熱い政治の季節へのノスタルジーをにじませ、戦いに斃れた無名戦士へのエレジーを奏でつつ、終盤、転生したロミオはこう叫び、皆の思いを前に進めようとする。
「いつの時代にも歌われなかった歌が今生まれるのだ。
みんな動け! 動け! そして自分の歌を歌え!」
「歌=うた」という言葉には深い意味が込められている。生でもあり、演劇でもある。
そして、止まっていた大時計が軋みながら再び時を刻み始める西沢演出のラストは出色。
私達は「今」どんな歌を歌うのか? 「今」をどう生きるのか?劇場全体を静かに揺さぶる問いは確実に観客に手渡された。問い続けながら、一歩一歩進んでいく、その場所にこそ光は届きあふれるのだろう。演劇の力を感じた。
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芸術監督・流山児祥はここ数年、佐藤信『喜劇昭和の世界・三部作』、唐十郎『腰巻お仙』、そして清水邦夫と手がけてきたが、すべて「今」を問う作品へと仕上げていることも特筆したい。 (敬称略)
流山児★事務所の注目の問題作、2019年上半期ベストの呼び声高い『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』(作:清水邦夫、演出:西沢栄治、芸術監督:流山児祥)
@座・高円寺1(JR高円寺駅 徒歩5分)
11ステージほぼ満員で絶賛上演し、本日:10(日)14時:愈々、千穐楽を迎えます。
スタッフ・キャスト一同あつく御礼申し上げます。
※本日:14時は前売完売。
※当日券は13時より若干枚、劇場窓口で発売します。
上演時間約2時間です。
⇒[流山児祥扱い 予約フォーム] 12時まで予約受付中!
https://www.quartet-online.net/ticket/ryuzanji201902
撮影:横田敦史

★様々なる「劇評」 BY結城雅秀(演劇評論家)
流山児★事務所「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」清水邦夫:作、西沢栄治:演出
深夜の百貨店で「ロミオとジュリエット」の稽古。情熱的舞台。
風吹景子(松本紀保=力強い、微笑)、弥生俊(伊藤弘子)の2人のやり合う場面の迫力!
弥生理恵(坂井香奈美)直江津沙織(村松恭子)振付師:加納夏子(神在ひろみ)!
1982年の熱気!群衆の力!少女歌劇団!
★様々なる「劇評」BY江森盛夫(演劇評論家)
作:清水邦夫、演出:西沢英治、芸術監督:流山児祥
”舞台は北陸、深夜の百貨店。今宵もひそかに「ロミオとジュリエット」の稽古がくりひろげられる。主役を演ずるのは、かって熱狂的な人気を持ちながらも解散してしまった少女歌劇団のヒロイン・風吹景子。しかし、彼女は、戦争中に遭遇した空襲のショックで記憶をなくしていた・・・。はたして歌劇団の仲間はたちはふったび再び終結するのか?そしてロミオはやってくるのだろうか?自分の歌をうたうため、三十人の女優あったちが舞い踊る!”
この芝居は、1982年に蜷川幸雄の演出で日生劇場で上演された。その上演は、清水・蜷川コンビとしては、珍しく不評で、私も観たが面白くなかった。
しかし、今回は西沢栄治の演出が出色で、風吹景子を演じた松本紀保を中心に伊藤弘子以下の女優陣が懸命に演じて、とても精彩に富んだ素敵な舞台ができあがった。男優陣では池下重大が光っていた。
様々なる「劇評」 BY CORICH舞台芸術 北村隆志(赤旗日曜版記者)
清水邦夫が82年に書いた戯曲。
戦争の傷を抱えていきる人々と、戦後の左翼運動で挫折した若者たち へ捧げるオマージュだった。
青春の愚行と情熱のシンボルともいうべき、「ロミオとジュリエット」を、戦争とたたかいに身を投じて夢破れ、寂しく老い た女たちが演じる。
見事な換骨奪胎による戦争と戦後の男たちへのエレジーだった。
舞台には本当に30人もの女優があらわれ、圧巻。その最初の勢揃いの場面は、女子校の同窓会さながらの心地よい騒がしさであった。
ロミオの登場が二転三転する展開が見事で、とくにかつての男役スター役の伊藤弘子と、その妹(実は…)役の、板井香奈美が良かった。歌と音楽も劇とピタリあって、一層感動を深めた。
久々に見た骨太にして猥雑、リアルにしてイデアルな芝居だった。
★様々なる「劇評」BY藤谷浩二(朝日新聞記者)
流山児★事務所「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」(西沢栄治演出)を座・高円寺で。
清水邦夫さんの演じること=生きることをめぐる戯曲のなかでも「タンゴ・冬の終わりに」「楽屋」と並ぶ傑作だと思うが、なにしろ単なるコロスではなく文字通り「三十人のジュリエット」を演じる女優たちが必要ゆえ、上演は簡単ではない作品。
本格的な上演形式では、2009年の蜷川さんによる再演以来の観劇。
松本紀保さんと伊藤弘子さんを中心に、オーディションを勝ち抜いたという女優たちの尋常ならざる熱量が放射される舞台。出演予定者の体調不良による降板を受け、急遽出演にも回ったという振付の神在ひろみさんの存在感が印象的だった。
久しぶりに池下重大さんの舞台姿をみられたのも嬉しい。
フレディの映画が流行っているからというわけではないけれど、The show must go onの精神に触れる作品であり、舞台。
★山田勝仁(演劇ジャーナリスト/日刊ゲンダイ記者)
座・高円寺1で、冬の劇場25 流山児★事務所公演「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」(作=清水邦夫、演出=西沢栄治、芸術監督=流山児祥)を上演中。
舞台は北陸のある町、深夜の百貨店。伝説の少女歌劇スター、弥生俊(伊藤弘子)の帰還を待ち焦がれ、新村久(池下重大)をはじめ、男たち(甲津拓平、井村タカオ、龍昇、木暮拓矢)は今宵もひそかに「ロミオとジュリエット」の稽古を繰り広げていた。彼らはかつて熱狂的な人気を持ちながらも解散してしまった石楠花少女歌劇団のヒロイン・風吹景子(松本紀保)と「バラ戦士の会」のメンバーだ。
太平洋戦争直前、このデパートに少女歌劇団が結成され、ヒロイン・景子と男役・俊が人気を集めていた。しかし、空襲のため団員は半数が死亡、残りもバラバラになってしまった。景子は頭に負った傷のせいで、現実を受け入れられずいまだに「夢」の中を彷徨っている。
ある日、メンバーの元に、俊が生きているという情報がもたらされる。そして俊と妹・理恵(坂井香奈美)が現れるが、俊は盲目となっていた。それを冷ややかに見つめる新村の義妹・加納夏子(神在ひろみ)…。
初演は1982年。演劇を通した激しい政治闘争を繰り広げた櫻社の同志・蜷川幸雄が商業演劇に身を売ったため(1974年、日生劇場公演『ロミオとジュリエット』)に櫻社は解散。蜷川幸雄は仲間の罵声を浴びることになる。
この作品はそれから8年後に蜷川演出で因縁の日生劇場で上演されたもの。
劇中での二人のヒロインの対決は櫻社解散をめぐる骨肉の確執なのか。 失われた政治の季節への追憶の物語。
冒頭、階段舞台に登場するタキシード姿の男優陣のダンスの華やかさにグイッと舞台に引きこまれる。このあたりは演出の西沢栄治の巧みさ。木暮の階段落ちも見事。
景子=松本紀保、俊=伊藤弘子の対決。これはもう貫録芝居。 村松恭子、麻乃佳世、小林麻子、星美咲ら「歌劇団のメンバーの艶麗さの競演も見どころのひとつ。
オーディションで選ばれたシニアを含めて30人のジュリエットたちがピンクのドレスで華麗に舞うスペクタクルは圧巻。
一人ひとりがジュリエットを生きている。
真摯な政治の季節はもはや追憶の中でしかないのか…。
★様々なる「劇評」 BY今村修(演劇評論家)
昨夜は、流山児★事務所「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」(作=清水邦夫、演出=西沢栄治)@座・高円寺1。戦時中に散り散りになってしまった少女歌劇団を、30年余の時を経て再結成しようと夢見るかつてのファンや団員の物語。1982年の蜷川幸雄演出による初演では、宝塚OGを大集結させたことでも話題を呼び、2009年には同じく蜷川演出、鳳蘭、三田和代主演で再演された。
北陸の地方都市でかつて人気を集めた石楠花少女歌劇団。華やかな娘役・風吹景子(松本紀保)とクールな男役・弥生俊(伊藤弘子)のトップコンビは「バラ戦士の会」という熱狂的なファングループを生むほどだったが、慰問に出かけた工場で爆撃に会って、景子は頭に傷を負って時が止まり、他のメンバーもバラバラになって俊は今も行方が知れない。ところが1970年代の大火のショックで景子が目覚めた。バラ戦士の残党、新村(池下重大)、坪田(甲津拓平)、六角(井村タカオ)、畑(龍昇)は、新聞記者の北村(木暮拓矢)とその弟・次郎(照井健仁)を巻き込んで、景子を中心に新作「日本海遥か┄┄新ロミオとジュリエット」の上演を企む。そのために新聞に出した広告を呼んで、紗織(村松恭子)、和美(麻乃佳世)、京子(小林麻子)かつての団員が次々と集まってくる。そしてついに俊も。だが彼女の瞳は光を失っていた。
かつて、挫折感を抱きしめた抒情と情念の闘争劇を次々と生み出した清水・蜷川コンビ。それが蜷川の商業演劇進出を巡って決裂。8年の時を経て、2人が再び手を組んだのが日生劇場を舞台にしたこの作品の初演だった。そのことを私たちは知っている。だから、失われた劇団、かつての情熱を取り戻そうとするこの劇に、景子と俊についつい2人の姿を重ねてしまいたくなる。それは間違いではないだろう。
だが敗戦から70年余、作品の初演からでも35年以上が経った。もはや作品がバックステージストーリーの呪縛から解放されても良い頃だろう。流山児★事務所のこの舞台には、そんな確信的な挑発が込められているように見える。エンターテインメント性を前面に押し出し、身体を信じた疾走感といかがわしさで空間を埋め尽くす。老若30人余のジュリエットたちが舞台端の闇からワラワラと湧き出してくる場面の混沌、それがたちまち、華やかなダンスに転じる驚き。松本と伊藤が華を競い、年齢も体形もバラバラなバラ戦士たちが各人各様の得意技を活かしてドラマを攪乱する。日生劇場、シアターコクーンで初演、再演されたいかにも蜷川好みの設定を、あくまで西沢流に、小劇場流に、客席数230余の座・高円寺で遊んでみせる。そこには蜷川に対する深いオマージュと共に、挑戦者としての意地が込められているようにも見えた。
作品が成立前史の呪縛を離れたように、登場人物たちも過去の栄光、止まってしまった時間から解放される。それは、自らの老いを自覚することであり、世知辛い世間を受け入れることだ。苦く、辛い。それを敢然と拒否する者もいる。だが、多くのバラ戦士の残党や、多くのジュリエットら凡人≠ヘ頭を上げて新しい世界へと歩きだしていく。
クライマックスで突然柱時計の大きな音が響き始める演出に身が震えた。そう、この舞台は追憶の劇ではなく旅立ちの劇だったのだ。次代のロミオともいえる夏子の「動け!動け!そして自分の歌をうたえ」という最後のアジテーションに胸を突かれながら、この劇の作り手たちの確かな意志表示を突き付けられた思いがした。(敬称略)