演劇評論家:今村修氏の素敵な「劇評」が掲載されました。
↓
舞台のエネルギーに気持ち良く呑み込まれた。
一昨日はマチネで、流山児★事務所「美しきものの伝説」(作=宮本研、演出=西沢栄治)@下北沢小劇場B1。
8月の「夢・桃中軒牛右衛門の」に続く宮本研連続上演第2弾にして、関東大震災99年・大逆事件死刑執行111年の記念公演。
この戯曲はこれまで様々な上演を観てきたが、これほど激しく、ある意味軽薄で、スピード感のある舞台はちょっと記憶にない。
戯曲が描かれた1968年は、ベトナム反戦、70年安保でこの国にも叛逆の風が吹き荒れ、
原子力空母エンタープライズが佐世保に寄港し、東大闘争が始まり、
「ビッグコミック」が創刊され、国際勝共連合が発足し、イタイイタイ病が公害病に認定され、
7月の総選挙で石原慎太郎、青島幸男、横山ノックが当選し、新宿騒乱事件が起き、
前年には演劇実験室◉天井桟敷が旗揚げした年。
そんな時代の風を、近現代史の大きな転換点となった大正ベル・エポックと重ねながら劇は疾走していく。
大逆事件を振り出しに、獄中にいたが故に連座を免れた四分六こと堺利彦(上田和弘)、
クロポトキンこと大杉栄(田島亮)、暖村こと荒畑寒村(申大樹)ら社会主義・無政府主義者、
雑誌「青鞜」に拠ったモナリザこと平塚らいてう(春はるか)、
伊藤野枝(山丸莉菜)ら新しき女たち≠轤フ、苦しくもどこか能天気な悪戦苦闘が描かれていく。
一方、先生こと島村抱月(里美和彦)、松井須磨子(竹本優希)、ルパシカこと小山内薫(鈴木幸二)、
早稲田こと澤田正二郎(佐野バビ市)、音楽学校こと中山晋平(本間隆斗)、学生こと久保栄(十河尭史)らは、
真の演劇≠巡って、実験、実践、議論を重ねていた。
立場は違えど、「世の中を変える」という志で繋がった若者たちのコミュニティーという設定が眩しい。
そしてそれは1960年代後半という、人々が政治で、文化・芸術で変革を目指して連帯を求めた時代と、舞台の時代を軽々と結びつける。
物語は次第にクロポトキンと野枝の同志的恋愛に収斂していくが、それを取り巻く人々がとにかく魅力的だ。
宮本の筆が踊る。西沢演出は若さを思いっきり前面に押し出す。
クサイというほど芝居が掛かった演技に最初は戸惑うが直に慣れるし、
むしろ今の観客にとっては身近とはいえない歴史上の登場人物に劇画的リアリティーを与える仕掛けかと思えてくる。
膨大な情報が溢れる戯曲を腑分けして政治と演劇にターゲットを絞り、金はないけど熱は売るほどある若者たちの青臭くもひたむきで野心に満ちたじたばたぶりを活写する。
一幕はドラマの時代を観客に理解してもらうべく、細かいところはすっ飛ばしてまでひたすら疾走する。
そのためもっとしっとり聞かせて欲しい、と思う台詞もないではないが、潔い舞台運びに押し切られる。
二幕は一転、これでもかというディスカッション劇になだれ込む。
社会変革、労働運動の路線を巡っての喧々諤々、演劇の現在と未来に関しての衝突と挫折。
言葉が粒立ち、腑に落ちる。宮本の言葉と共に、演出の腕力の手柄だろう。
そして祈りに満ちた終景。宮本自身の作詞による鎮魂歌が胸に沁みる。
見終えて爽快感すら感じる舞台だった。
登場人物のキャラの立ち方も特筆もの。
金髪ヤンキー風ながら言葉に力がある田島、目が眩みそうな真っ直ぐさで突き進む山丸、
ひたむきさが溢れる申、飄逸さと信念の強さを併せ持つ上田、
早稲田という役を飛びきりのコミックリリーフに仕立て上げた佐野、
狂騒の中で一人内省的な渋みを醸し出す里美をはじめ、いずれもデフォルメされた人物造形ながら、
そこには確かにアングラ演劇が生まれた1960年代後半を彷彿させる風が吹いていた。
それとは真逆の風が激しい今だからこそ、切実に必要な宮本研の言葉と、信念と、熱。連続公演は、改めてそれを教えてくれた。
音楽=諏訪創、振付=神在ひろみ、芸術監督=流山児祥。
(敬称略)