公演情報

シアターRAKU 2025
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原作:W・シェイクスピア
台本:山元清多
演出/流山児祥
音楽/高橋牧(時々自動)
振付/北村真実(mami dance space)



 ご予約はこちら

2025/05/05 (月)〜17 (土)

@Space早稲田

 


■予約はお早めに



■◇■◇■◇■◇■◇■◇


==DVD発売中==


こちらから


『冥王星の使者』



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**********

 

 

作⦿高取英
(月蝕歌劇団)

脚本・演出協力⦿天野天街
(少年王者舘)

演出⦿流山児祥

音楽⦿巻上公一
(ヒカシュー)

人形製作⦿山田俊彦
(人形劇団ココン/ITOプロジェクト)
 

 

流山児★事務所
2023年度 新人募集
劇団で活動することに興味がある人を募集します。

【募集人員】
6名 (俳優・スタッフ・制作)
18歳以上35歳未満。
国籍不問。心身ともに健康な男女

【第一次審査:書類選考】
以下を流山児★事務所まで郵送してください。
(1)履歴書(連絡のつく電話番号とメールアドレスを記載のこと)
(2)写真1点(バストアップ)
(3)作文「流山児★事務所に入団してやりたいこと」(400字程度)


【第二次審査:実技・面接】
書類選考通過者のみ、連絡いたします。
※実技審査料3,000円は当日持参のこと。
※スタッフ・制作は面接のみ(無料)です。

【入団後の活動】
流山児★事務所の活動に準じていただきます。
優秀な新人は劇団公演、海外公演などに参加できます。

【お問合せ・応募先】
流山児★事務所 新人募集係
〒162-0045 東京都新宿区馬場下町60番地 まんしょん早稲田307
TEL:03-5272-1785(平日13時〜17時)
E-MAIL:mail@ryuzanji.com

情報詳細
CD/DVDを買う
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続々オールド・バンチ〜カルメン戦場に帰る〜 DVD
「オールド・バンチ〜復讐のヒットパレード!〜」「続々オールド・バンチ〜カルメン戦場に帰る〜」DVD発売中!
その他公演パンフレットなど
 ≫詳しくはこちら
結城雅秀氏〈演劇評論家〉の今月の演劇ベスト5に
詩森ろば×流山児 の「沖縄をめぐる2部作」
新作『キムンウタリ』が選出されている。
感謝。

結城雅秀の4月の「ベスト・ファイヴ」
1. 新国立『エンジェルズ・イン・アメリカ、ミレニアム迫る、ペレストロイカ』
2. ゴーチ『ブレイキング・ザ・コード』
3. 深作組『火の顔』
4. unrato『Our Bad Magnet』
5. 流山児『キムンウタリ、Okinawa 1945』
【本日22日(土)14時『キムンウタリ』千穐楽!
 19時『OKINAWA1972』】のダブルヘッダーです
連日満員爆走中の詩森ろば×流山児「オキナワを巡る2部作」
新作『キムンウタリ』ファイナルステージお見逃しなく。
当日券の発売は開演40分前です。
※なお、カーテンコールは「撮影可」です。

★田島亮 staff【推し舞台】
下北沢ザスズナリにて、
「1972」観劇してきました。アクティングスペースで紹介した作品で、本番も素晴らしかったです。
「1945」も観に行きます。オススメです!

★流山児★事務所の〈Okinawa 1945↔︎1972〉『キムンウタリOKINAWA1945』(詩森ろば作・演出)を見る。キムンウタリとは沖縄戦に参加したアイヌ民族の兵士のこと。アイヌ語で「山の同胞」を意味する。戦時中に起きた出来事と舞台上の表現を歌と踊りで繋いでみせる。異化効果の連続。
沖縄戦という悲惨な史実を、見た人がトラウマにならないようにする工夫が随所に施されている。コンパクトにわかりやすくまとまっていることに加えて、死者の数を聞くだけで、どれだけ大勢の犠牲者が出たかがわかる。知念正真作『人類館』を下敷きに、沖縄戦を描く。ザ・スズナリにて4月22日まで。
(バードランド、)
■この春、
流山児★事務所が日本アカデミー賞優秀脚本賞・読売演劇大賞優秀演出家賞受賞の詩森ろば読売演劇大賞スタッフ賞受賞の天才音楽家:鈴木光介とともに、今につながる沖縄問題の原点を二部構成で色鮮やかに体現する!
詩森ろば×流山児の新作・凄劇
■上演時間1時間55分(キムンウタリ) 1時間50分(1972)

【最新前売状況】ふらりとスズナリまで!
  22(土)14時『キムンウタリ』千穐楽▲(完売近し)
     19時『1972』〇(余裕アリ)
  23(日)14時『1972』千穐楽▲
2作通し券は 8,000円(全席指定)
◎予約はお早めに⇒
■流山児祥の新刊『敗れざる者たちの演劇志』(論創社・刊)
ロビーにて絶賛販売中です。著者がサインします。
4月25日、全国書店、ネット書店にて発売開始です。
【本日21日(金)19時『キムンウタリ』ふらりと下北沢まで】

超満員爆走中の詩森ろば×流山児「オキナワを巡る2部作」
22(土)14時の『キムンウタリ』千秋楽は超満員が予想されます。
ぜひ、このステージにおいでください。
当日予約は16時まで受け付け中。
スズナリでの発売は18時20分です。
残り3日間4ステージ限り。
※なお、カーテンコールは「撮影可」です。

★田島亮 staff【推し舞台】
下北沢ザスズナリにて、
「OKINAWA1972」を観劇してきました。アクティングスペースで紹介した作品で、本番も素晴らしかったです。
明日の夜は1945の方を観に行きます。
オススメです!
★流山児★事務所の〈Okinawa 1945↔︎1972〉『キムンウタリOKINAWA1945』(詩森ろば作・演出)を見る。キムンウタリとは沖縄戦に参加したアイヌ民族の兵士のこと。アイヌ語で「山の同胞」を意味する。戦時中に起きた出来事と舞台上の表現を歌と踊りで繋いでみせる。異化効果の連続。
沖縄戦という悲惨な史実を、見た人がトラウマにならないようにする工夫が随所に施されている。コンパクトにわかりやすくまとまっていることに加えて、死者の数を聞くだけで、どれだけ大勢の犠牲者が出たかがわかる。知念正真作『人類館』を下敷きに、沖縄戦を描く。ザ・スズナリにて4月22日まで。
(バードランド、)

■この春、
流山児★事務所が日本アカデミー賞優秀脚本賞・読売演劇大賞優秀演出家賞受賞の詩森ろば読売演劇大賞スタッフ賞受賞の天才音楽家:鈴木光介とともに、今につながる沖縄問題の原点を二部構成で色鮮やかに体現する!
詩森ろば×流山児の新作・凄劇
上演時間1時間55分

【最新前売状況】ふらりとスズナリまで!
  21(金)19時『キムンウタリ』〇(余裕アリ)
  22(土)14時『キムンウタリ』千穐楽▲(僅少)
     19時『1972』〇
  23(日)14時『1972』千穐楽▲
2作通し券は 8,000円(全席指定)
◎予約はお早めに⇒
■流山児祥の新刊『敗れざる者たちの演劇志』(論創社・刊)
ロビーにて絶賛販売中です。著者がサインします。
◎昼・夜2本立て!シモキタまで!
【19日(水)14時『キムンウタリOKINAWA1945』
     19時『OKINAWA1972』です】
『キムンウタリ』残り3ステージ
『OKINAWA1972』残り4ステージ
全力疾走で駆け抜けます。
ふらりと@下北沢ザ・スズナリまでおいでください!
流山児★事務所が2023年の「イマ」自信をもって創り上げた「オキナワを巡る」超問題劇=群像劇2部作。
その目でお確かめください。演劇阿呆の群れが「ここ」にいる。
【様々なる劇評】
★流山児★事務所の『OKINAWA1972 』(詩森ろば作・演出)を見る。『キムンタウリ』でも感じたが、アイヌの人も沖縄の人も、めでたいことがあると歌をうたって踊る。暮らしのなかに芸能が息づいている。見るたびに素晴らしいと思う。972年は沖縄返還の年だが、ひとつは沖縄の裏社会の歴史、もうひとつは日本と米国間における返還に際しての交渉の経緯を、交互に描いていく。沖縄を本土のヤクザから守ろうとした人々のあいだのさまざまな確執、日本と米国の密約が明らかにされる。主人公はアメリカ兵に暴行されて生まれた混血児だ。
主人公の混血児の明るさ、その母親の健気な向上心、やさしい気持ちこそが、わたしが好きな沖縄だ。大変な目に遭わされても、情に厚く、前向きに生きる姿勢を失わない。それがある限り、沖縄は常に甦ると思った。ザ・スズナリにて4月23日まで。(バードランド)
★感想としては、デリケートな題材をポップ&シニカルに仕上げた感じ。ちょっと考えさせられる内容。薄っすら知っているけれど、よく分からない。経験しないと分からない。経験したくはないけれど、知るべき史実。『キムンウタリOKINAWA1945』(nyanco)
★下北沢のスズナリで流山児事務所の「OKINAWA1972」を観劇。
作・演出:詩森ろば戦後に沖縄でヤクザが勃起した背景、沖縄返還の日米の裏交渉。抗争のラストは東映のヤクザ映画のようだった。
★下北沢のスズナリで、前日に続いて流山児事務所の「キムンタウリOKINAWA1945」を観劇。作・演出:詩森ろば
終戦末期の沖縄でアイヌも徴兵され戦っていたことを知る。
沖縄の人々と北海道のアイヌが日本政府に征服される歴史。
そして差別。見たくない歴史は削除されるのか。よい勉強になった。(中野 博幸)
★詩森ろば さんが異次元に飛ぶ世界線を劇作。沖縄戦でのアイヌとウチナンチュー。差別と戦争がオブラートに包まれず舞台から飛んでくる。美談もあるが安易な感動や感傷を許さずカタルシスもない。死んでも差別。戦争はゲーム。観客を考えざるを得ない極限に追いつめる。(伊藤悟)
★『キムンウタリokinawa1945 』
人類館事件、これは知らなかった。知念正真氏の戯曲「人類館」をオマージュし、詩森ろば さんがその館の調教師が操る沖縄戦を描く。そこではアイヌ民族も戦っていたとは。
鈴木光介 さんの巧みな音楽が劇を彩る。(Chronicle)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
●「繊細さと大胆さ、思いあう気持ちと非情さを瞬時に移動しながらノンストップで駆け抜ける俳優たちの雄姿をぜひ見ていただきたいです。」(詩森ろば)
詩森ろば×流山児の新作・凄劇
上演時間1時間55分
※当日券は開演40分前より発売します。
【最新前売状況】ふらりとスズナリまで!
  19(水)14時『キムンウタリ』▲(残席僅少)
    19時『1972』▲
  20(木)14時『1972』◎(大いに余裕アリ)
  21(金)19時『キムンウタリ』◎
  22(土)14時『キムンウタリ』千穐楽▲
     19時『1972』〇(余裕アリ)
  23(日)14時『1972』千穐楽〇
2作通し券は 8,000円(全席指定)
◎予約はお早めに⇒
■流山児祥の新刊『敗れざる者たちの演劇志』(論創社・刊)
ロビーにて絶賛販売中です。著者がサインします。
【様々なる劇評『キムンウタリ』〜CORICH舞台芸術より〜】
■「キムンウタリOKINAWA1945」
沖縄戦の地獄の中で、人間の良心が目を覚ますような、命の尊さをうたう物語的な見せ場のシーンになると、とたんに調教師(山下直哉)が現れて、「このあとどうなったかというと、二人とも爆弾で死にました」と、非情な現実で美談に水を指して、観客に物語に酔うことを許さない。「戦死ガチャ」なるサバイバルごっこをして、無作為のように次々殺し、これが戦場ですよとつきつける。ブラックな虚無とアイロニーを徹底させた芝居だった。戦争のヒューマニズムやヒロイズムを拒否し、不条理劇とも見紛うニヒルでシニカル、非常にとんがった作品である。

調教師が舞台回しになり、冒頭は「人類館」の見世物小屋ふうにはじまる。沖縄戦の地獄めぐりを経て、最後は二代目調教師(男、塩野谷正幸)が初代に取って代わり、再び差別を繰り返す。人間、過ちはなかなか改まらない。皮肉の効いた結末だった。

生き残ったアイヌ出身兵と沖縄出身兵が協力して南北の塔を建てた。これはいい話だが、その一方、沖縄県民が「なんでアイヌと一緒にされるんだ」といって、出身で犠牲者に差を設けたらしい。事実かどうかは要確認だが、ありそうなことである。(北村隆史)★★★★

■「キムンウタリOKINAWA1945」
1978年、The Crassは「Punk Is Dead 」と歌い、1981年、The Exploitedは「Punks Not Dead」と返した。
今作はまさに「Punks Not Dead」。もう演劇である必要もない。アイヌと琉球の被差別の歴史から日本を語る。

『ドラゴン怒りの鉄拳』というブルース・リーの名作がある。日本映画にある、耐えに耐えて到頭堪忍袋の緒が切れて・・・の段取りを全部カット。開幕そのままブルース・リーはブチ切れている。Aメロ、Bメロ省略、サビだけというハードコア・パンク。スターリンの『虫』みたいな感じ。今作もそんな荒々しさで叫びまくる。言いたいことが客に伝わらなくちゃ意味ねえんだよ!どんな形になろうが伝えてやる!凄く良い。

『怒りの鉄拳』の「東亜病夫」のように、「琉球、朝鮮、アイヌはお断り」がキャッチーに歌われる。作曲演奏の鈴木光介氏の才能が今作を彩る。
知念正真の戯曲『人類館』をモチーフに物語は綴られる。1903年大阪で起きた「人類館事件」。人間動物園として、各地の土人の暮らしぶりを観客に提供。アイヌ、琉球、台湾生蕃、朝鮮・・・。

今作では沖縄戦に投入されたアイヌ人兵士と現地のウチナンチュー(沖縄人)のエピソードを芝居形式で送る見世物。シルクハットにタキシードとマント、鞭を片手に持つサーカス団の団長風の調教師(山下直哉氏)、横に立つアシスタント的な女(伊藤弘子さん)。鞭を鳴らしながら観客に口上をふるい、絶望と地獄の沖縄戦で楽しませてくれる。属国とされた弱い民族は理不尽に支配され服従するしか道はない。しかもアイヌは琉球人にさえ差別された。実話のエピソードが並べられ皆当たり前のように死んでいく。後に残るのは「キムンウタリ(山の同胞)」と刻まれた石碑、南北之塔。
安全圏から高みの見物を決め込む観客に拳銃を向ける調教師・山下直哉氏がMVP。このメフィストフェレスは誰も彼もに銃を突き付ける。どうやったらこの話を観客が自分自身の話だと受け止められるようにすることが出来るのか?

ウチナンチューの兵士役、五島三四郎氏は林泰文や若き日の本田博太郎っぽくて愛嬌がある。
ウチナンチューの妊婦役、竹本優希さんも印象的。
ひめゆり部隊の看護兵役の福井夏さんが記憶に残る。米軍に投降して生き延び、戦後はパンパンになった。

死んだ先でも差別が待っている。しかももう死ねない。祀られるのは英霊だけで、殆どのウチナンチューは犬死にだ。
この世は差別で作られている。差別こそが人間の本質である。差別を克服する為ありとあらゆる取り組みを試してみたが、新しい差別が増えていくだけ。今作に「絶望すらも抱き締めろ」という台詞がある。「それだって唯一無二の自分自身」。世の中の矛盾、自分の中にある矛盾を肯定して生きていくことか。
是非観に行って頂きたい。(ヴォンフル―)★★★★

■『キムンウタリOKINAWA1945』を観た。
心が痛くなる芝居。106分。
 敗戦直前の沖縄を舞台に、沖縄戦線に配属されたアイヌ人兵士たちと沖縄人兵士を軸に、戦争と民族差別という2つの問題を題材にした。不明にして「人類館」事件も、本作のベースとなったらしい知念正真の戯曲『人類館』も知らなかったが、強烈な内容で、エンターテインメント要素を入れてはいるものの、ひたする心が痛くなる。
(JOKERMAN)★★★★★


■『キムンウタリOKINAWA1945』
知念正真の傑作戯曲「人類館」をリスペクトした構造で描く。(チラシより) 
まさにサーカスを観ているような、時にその内側にいる錯覚をも感じた。
沖縄とアイヌの共通点を知り、自分はいったいどこに属するんだろうとも考えさせられた作品でした。
いじめる側になるか、いじめられる側になるか。殺す人になるか、殺される人になるか。…。
大河ドラマ「渋沢栄一」でのパリ万博を思い出し、
劇団チョコレートケーキ『ガマ』で観たガマの話を思い出した。
また、まさか沖縄戦にアイヌが駆り出されていたとは。
音楽そして音担当の鈴木光介さんが作り出す音楽が台詞のように響く。
あれこそ本当の魔術師かもしれない。
(はみーにょ)★★★★★
【様々なる劇評『キムンウタリ』〜CORICH舞台芸術より〜】
■「キムンウタリOKINAWA1945」
沖縄戦の地獄の中で、人間の良心が目を覚ますような、命の尊さをうたう物語的な見せ場のシーンになると、とたんに調教師(山下直哉)が現れて、「このあとどうなったかというと、二人とも爆弾で死にました」と、非情な現実で美談に水を指して、観客に物語に酔うことを許さない。「戦死ガチャ」なるサバイバルごっこをして、無作為のように次々殺し、これが戦場ですよとつきつける。ブラックな虚無とアイロニーを徹底させた芝居だった。戦争のヒューマニズムやヒロイズムを拒否し、不条理劇とも見紛うニヒルでシニカル、非常にとんがった作品である。

調教師が舞台回しになり、冒頭は「人類館」の見世物小屋ふうにはじまる。沖縄戦の地獄めぐりを経て、最後は二代目調教師(男、塩野谷正幸)が初代に取って代わり、再び差別を繰り返す。人間、過ちはなかなか改まらない。皮肉の効いた結末だった。

生き残ったアイヌ出身兵と沖縄出身兵が協力して南北の塔を建てた。これはいい話だが、その一方、沖縄県民が「なんでアイヌと一緒にされるんだ」といって、出身で犠牲者に差を設けたらしい。事実かどうかは要確認だが、ありそうなことである。(北村隆史)★★★★

■「キムンウタリOKINAWA1945」
1978年、The Crassは「Punk Is Dead 」と歌い、1981年、The Exploitedは「Punks Not Dead」と返した。
今作はまさに「Punks Not Dead」。もう演劇である必要もない。アイヌと琉球の被差別の歴史から日本を語る。

『ドラゴン怒りの鉄拳』というブルース・リーの名作がある。日本映画にある、耐えに耐えて到頭堪忍袋の緒が切れて・・・の段取りを全部カット。開幕そのままブルース・リーはブチ切れている。Aメロ、Bメロ省略、サビだけというハードコア・パンク。スターリンの『虫』みたいな感じ。今作もそんな荒々しさで叫びまくる。言いたいことが客に伝わらなくちゃ意味ねえんだよ!どんな形になろうが伝えてやる!凄く良い。

『怒りの鉄拳』の「東亜病夫」のように、「琉球、朝鮮、アイヌはお断り」がキャッチーに歌われる。作曲演奏の鈴木光介氏の才能が今作を彩る。
知念正真の戯曲『人類館』をモチーフに物語は綴られる。1903年大阪で起きた「人類館事件」。人間動物園として、各地の土人の暮らしぶりを観客に提供。アイヌ、琉球、台湾生蕃、朝鮮・・・。

今作では沖縄戦に投入されたアイヌ人兵士と現地のウチナンチュー(沖縄人)のエピソードを芝居形式で送る見世物。シルクハットにタキシードとマント、鞭を片手に持つサーカス団の団長風の調教師(山下直哉氏)、横に立つアシスタント的な女(伊藤弘子さん)。鞭を鳴らしながら観客に口上をふるい、絶望と地獄の沖縄戦で楽しませてくれる。属国とされた弱い民族は理不尽に支配され服従するしか道はない。しかもアイヌは琉球人にさえ差別された。実話のエピソードが並べられ皆当たり前のように死んでいく。後に残るのは「キムンウタリ(山の同胞)」と刻まれた石碑、南北之塔。
安全圏から高みの見物を決め込む観客に拳銃を向ける調教師・山下直哉氏がMVP。このメフィストフェレスは誰も彼もに銃を突き付ける。どうやったらこの話を観客が自分自身の話だと受け止められるようにすることが出来るのか?

ウチナンチューの兵士役、五島三四郎氏は林泰文や若き日の本田博太郎っぽくて愛嬌がある。
ウチナンチューの妊婦役、竹本優希さんも印象的。
ひめゆり部隊の看護兵役の福井夏さんが記憶に残る。米軍に投降して生き延び、戦後はパンパンになった。

死んだ先でも差別が待っている。しかももう死ねない。祀られるのは英霊だけで、殆どのウチナンチューは犬死にだ。
この世は差別で作られている。差別こそが人間の本質である。差別を克服する為ありとあらゆる取り組みを試してみたが、新しい差別が増えていくだけ。今作に「絶望すらも抱き締めろ」という台詞がある。「それだって唯一無二の自分自身」。世の中の矛盾、自分の中にある矛盾を肯定して生きていくことか。
是非観に行って頂きたい。(ヴォンフル―)★★★★

■『キムンウタリOKINAWA1945』を観た。
心が痛くなる芝居。106分。
 敗戦直前の沖縄を舞台に、沖縄戦線に配属されたアイヌ人兵士たちと沖縄人兵士を軸に、戦争と民族差別という2つの問題を題材にした。不明にして「人類館」事件も、本作のベースとなったらしい知念正真の戯曲『人類館』も知らなかったが、強烈な内容で、エンターテインメント要素を入れてはいるものの、ひたする心が痛くなる。
(JOKERMAN)★★★★★


■『キムンウタリOKINAWA1945』
知念正真の傑作戯曲「人類館」をリスペクトした構造で描く。(チラシより) 
まさにサーカスを観ているような、時にその内側にいる錯覚をも感じた。
沖縄とアイヌの共通点を知り、自分はいったいどこに属するんだろうとも考えさせられた作品でした。
いじめる側になるか、いじめられる側になるか。殺す人になるか、殺される人になるか。…。
大河ドラマ「渋沢栄一」でのパリ万博を思い出し、
劇団チョコレートケーキ『ガマ』で観たガマの話を思い出した。
また、まさか沖縄戦にアイヌが駆り出されていたとは。
音楽そして音担当の鈴木光介さんが作り出す音楽が台詞のように響く。
あれこそ本当の魔術師かもしれない。
(はみーにょ)★★★★★
18(火)13時は『コタン虐殺』上映会
作演出:詩森ろば 音楽演奏:鈴木光介
出演:田島亮・山丸莉菜/伊藤弘子・流山児祥・上田和弘・杉木隆幸・イワヲ・甲津拓平・荒木理恵
/洪明花・村松恭子・辻京太ほか

★読売演劇大賞優秀演出家賞に輝く詩森ろば×流山児★事務所の傑作ぜひ、ご覧ください。
『キムンウタリOKINAWA1945』の原点が「ここ」にある!
まだ、客席は「趙・大いに余裕アリ」です。
ふらりと@下北沢ザ・スズナリまでおいでください。
入場料:1500円

◎予約はお早めに⇒
■流山児祥の新刊『敗れざる者たちの演劇志』(論創社・刊)
ロビーにて絶賛販売中です。
【森岡美穂の『キムンウタリ』長編劇評】〜劇場通いの日々〜
とっても素敵な「劇評」有難うございました。

詩森ろば作・演出『キムンウタリOKINAWA1945』
@ザ・スズナリ(2023年4月15日)

 流山児カンパニーによる沖縄に関する2作の連続上演、数日前まで気づいてなかったのだけれど、前世紀転換期の万博と「人類館」展示の話にうっすら繋がる論文( これは「アフリカ」とその住民を帝国主義時代の「欧州」がどう観ていたかを現代の歌劇場がどう語っているか、という論文だけれど
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784805761939 )を出したばかりだし、先月ベルギーの王立アフリカ博物館にいってきた記憶も鮮明ないま、やはり観に行っておこう、と下北沢へ向かった。まぁやっぱりこうして一本一本作品が上演されて、たくさんの人が観て記録することで、ようやく社会における或る「過去に起こったこと」の解像度は上がる、というかきっと社会的認知をギリギリ保てるくらいなんだよな、とあらためて思った。

 太平洋戦争へのアイヌや琉球人(という表現が劇中あり)の徴兵、でもこれに応じることが「国民」として認められるかどうかに通じるから逃げられない。「市民権」というか、帝国国民としての地位向上を目指して参戦した第一次大戦の欧州とアフリカ諸国を連想する。彼らもやはり万博の「ネイティヴ・ヴィレッジ」に展示されたグループに入る訳だ。

 ちなみに「人類館」と万博についてはちょうど去年、小原真史『帝国の祭典−−博覧会と<人間の展示>』(水声社、2022年)でも読んだ。この辺の差別的「人種」展示に関する世界的な動きについて豊富な写真でよく分かる一冊。

全体が知念正真『人類館』(1976)の骨組みを生かした作りになっているという情報のおかげでギリギリ直前に本歌の台本( https://playtextdigitalarchive.com/drama/detail/503 )をネットで読んでから鑑賞できて、これは助かった。絶対読んで行った方がいい。


「調教師(山下直哉)と人類館に展示されている男女(塩野谷正幸・伊藤弘子)(*実は精神科の医師と患者たち)」という枠は明示した状態で開始。狂言回しとしての「調教師」は、かつて展示品であり、差別の対象であり続けたアイヌと琉球人が戦争でどんな目にあったのかを次々見せていく。そういえばこの役も、万博前後の19世紀のフリークスの見世物小屋の親方を思わせる。『エレファント・マン』もそうだった……( https://operaandarts.seesaa.net/article/202012article_1.html


彼の仕切りで、感動的なエピソードが演じられても「このあとすぐ死亡」など冷酷な現実を突きつけていく。この異化に次ぐ異化、茶化しまくりの構造は、差別的権力構造の視覚化とともに、センチメンタリズムに陥らないための安全弁でもあるのだろう。ミュージカル仕立てでの差別告発も、内容の凄惨さをにぎやかなレビューが緩和し、シリアスな場面の間でリズムを生み出している。そして、アイヌや沖縄の人々の音楽への愛もそこには込められているのだろう。

ひめゆりのエピソードはいつ見てもつらい。でも力強い。少女(山川美優)がガマ陥落の日に初潮を迎え、少し年長の少女・玉城さん(福井夏)が、あんなにしっかり働いていたスミちゃん、つい昨日たくさんの逃げられない精神傷病者を一緒に安楽死させたスミちゃんが「まだ13歳」で初潮もまだだったことにショックを受ける場面。
犬飼医師(杉木隆幸)が少女たちから青酸カリを取り上げ「降伏して生き延びろ」と命令し、彼女たちを率いてきた翁長先生(荒木理恵)が「『お嫁に行けない体』なんてない。それは男が勝手につくっただけの差別[ ここは正確にはなんて言ってたかな…… ]。とにかく生き延びて。」と語りかける場面。マームとジプシーの『cocoon』のことも思い出す。


下北沢に来ると、初台や世田谷、池袋では見かけないチラシが半分くらいはある。「客層の違い」はあるんだろうけれど、『エレファント・マン』や『cocoon』を観た人たちがテーマつながりで『キムンウタリ』も観てみようかな、となったら理想的。

『人類館』は、調教師が倒れ、「男」が二代目となって、「歴史は繰り返す」という愚かな真理を示して終わる。この芝居も同じ流れをたどるけれど、「女」がひとり舞台を出て「外」に出ていく、というところが違う。

差別がなくなる訳ではないけれど、こんな突破口から少しずつ構造は変わるのかもしれない。『キムンウタリ』は『人類館』の翻案上演と言ってもいいくらいの作品だったが、それ自体が、歴史というものについて、『人類館』で描かれた哀しい諦念の反復構造から『キムンウタリ』での「ずれ」を伴ったスパイラルへ、と認識をポジティブに変えていこうというアクションなのかもしれない。


まだ23日まで、来週一杯『OKINAWA1972』と二本立てでの公演は続くので、このテーマに関心ある方はぜひ。
【OKINAWA1972・長編劇評】
BY 山田勝仁氏(演劇ジャーナリスト)これまた、完璧な劇評
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「間然する所がない」というのが私の最上級の誉め言葉。「間然する所がない」=「完璧で非難すべき欠点がない」という意味。「間」はすきま、「然」は状態。「間然」はあれこれ批判・非難すること。 「論語」に出てくる言葉とか。
 下北沢ザ・スズナリで上演中の流山児★事務所「OKINAWA1972」(作・演出=詩森ろば)はまさしく間然する所のない舞台だった。
 タイトルの「1972」は沖縄がアメリカから返還された年。

 沖縄を舞台にした一見関りのない3つの物語が同時進行し、それらが最後に大きな奔流となって現代と通底する。
 ひとつは日本・フィリピンの混血児・日島亨(五島三四郎)と幼なじみの喜屋武幸星(キャン=工藤孝生)の物語。亨の父は米軍基地のコックで、母・島原トミ(かんのひとみ)は暴行されて亨を産んだ。
 10年に一人の秀才といわれながら、高校に進学する金もなく、やがて喜屋武と共に沖縄やくざ「泡瀬派」の代表・金城雄吉(龍昇)の舎弟となる。
 戦前の沖縄に「やくざ」は存在せず、戦後になって、アメリカ軍から物資などを強奪し、民衆に分配する「戦果アギャー」と呼ばれる無法者が義賊として跋扈し、アシバーとも呼ばれる愚連隊が徒党を組んでAサインバーの用心棒などをしていた。
 彼らは「コザ派」「那覇派」といった組織を結成。「コザ派」は「泡瀬派」と山原派に分裂。那覇派からは普天間派が独立した。やがて、泡瀬派対「山原・那覇・普天間」の三派連合が対立する。 そこから抗争を繰り返し、第6次沖縄戦争まで行きつく。

 那覇派のカリスマが知念世和、通称・知念スタァ(杉木隆幸)。コザ派の代表が国仲善忠(流山児祥)。その配下で狂暴な男がミンタミ(目玉)こと比嘉喜文(甲津拓平)。ミンタミの側近がインテリ崩れの冷徹な新垣清(浅倉洋介)。
 日島亨は後に沖縄の裏社会を震撼させる事件の主役となる。

 沖縄の苦難の歴史は1600年代の薩摩藩の琉球支配まで遡る。
 中国と冊封関係(形式的な主従関係)を結んでいたから、日中の間の綱引きの道具にされていたともいえるが、
独立した国家であったことは確かだ。
 それが1879年の日本による「沖縄処分」というだまし討ち的な併合によって日本に編入されたことで、その独立性は崩壊する。
 1945年の地上戦、敗戦、アメリカ統治を経て、1972年の日本復帰というまさに苦難の道を歩んできたわけだが、
その沖縄返還の裏に「日米の密約」があった。

 佐藤栄作首相(塩野谷正幸)の密使として国際政治学者・若泉敬(里美和彦)が、ニクソン政権の国家安全保障担当大統領補佐官キッシンジャーと秘密裏に交渉。若泉は「核抜き・本土並み」返還を目指したが、69年9月30日、キッシンジャーはニクソンの意を受けて、「緊急事態(有事)に際し、事前通告をもって核兵器を再び持ち込む権利、および通過させる権利」を認めるよう要求した。
 若泉は苦慮し、同年11月の再交渉で、「事前通告」を「事前協議」に改めるよう主張し、諒解を得た。
 これによって72年の沖縄返還の日程が決まった。
 日米の密約の最高度の関与者であった若泉は極秘交渉の経緯を記した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を著し、
沖縄返還から24年後の1996年、「(沖縄の)歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り」と言い残し、
青酸カリ服毒自殺する。

 若泉の苦渋は自分がアメリカにだまされていたという悔悟だ。
 アメリカは、もはや重要ではなくなっていた「沖縄の核」を重要なカードと見せかけて交渉に当たり、日本政府から「沖縄から核兵器を撤去する」という大きな譲歩と引き換えに、日本側に「沖縄米軍基地の永久使用権」を認めさせたのだ。つまり若泉の密約交渉は沖縄基地の恒常化をカムフラージュするものに過ぎなかった。

 舞台は6次まで続いた沖縄やくざの内部抗争を軸に、佐藤首相・若泉敬の秘密交渉の場を往還させながら、今の辺野古問題につながる沖縄問題のルーツを描く。

 今回の舞台、初演のSPACE早稲田からスズナリに変わったことで舞台のスケールが大きくなり、やくざ同士の立ち回りに迫力が加わった。 役者もいい。

 これほど一人ひとりの役者の個性をくっきりと浮かび上がらせ、生き生きと舞台を疾走させた作品はそうそうない。
 日島亨役の五島三四郎と喜屋武幸星の工藤孝生の野性味と敏捷な身体性。金城雄吉の龍昇は「仁義なき戦い」の金子信雄ばりの食えない親分を好演。ミンタミの甲津拓平の愛嬌ある武闘派ぶりが舞台を最後まで引っ張った。浅倉の頭脳派若手やくざっぷりがまた見事。
 沖縄空手の達人・知念スタァの杉木が、酒も飲まず女房一筋の禁欲的なやくざ役が異彩を放ち、舞台を引き締めた。大ボス国仲の流山児が解説役も務めるなど、場を和らげた。

 女性陣では亨の母親のかんのひとみが息子に手紙を書くために文字を習うという無学ながら子を思う母の心情を切々と演じ、伊藤弘子は気風のいい姉御肌の妻を艶っぽく。佐藤首相役の塩野谷は鵺のような権力者の不気味さを。若泉役の里美がインテリの苦悩を好演。
 亨の恋人でバーのホステス役の福井夏が男を手玉に取りながらも亨への純情を見せた。彼女は「城山羊の会」解散公演「埋める女」での少女役が魅力的だった。セリフの反応、レスポンス、リアクションが見事。山川美優、荒木理恵がホステス役で舞台に色香をまき散らし、本間隆斗、山下直哉が舞台を疾走した。

 鈴木光介の生演奏が素晴らしい効果をあげた。
 詩森ろばの作劇と演出手腕が細部にまで行き届いた1時間50分。
 2時間以内でも、こんなに濃密な舞台ができるという好例。

 23日まで「キムウンタリOKINAWA1945」と交互上演。
【劇評】〜『キムンウタリOKINAWA1945』
これまた、的確な演劇評論家:今村修氏の長編劇評です。じっくり読んでください〜

昨日はマチネで、流山児★事務所「キムンウタリOKINAWA1945」(作・演出=詩森ろば)@ザ・スズナリ。同じく詩森による「OKINAWA1972」との交互上演だが、本土ヤクザに対抗する沖縄裏社会の抗争を通して、「本土復帰」を見据えた「1972」とはガラリ装いを変えて、こちらは沖縄戦の悲劇を辺境出身の兵士たちの目を通して、これでもかと暴き出す。

1978年に岸田戯曲賞を受賞した、ちねんせいしんの「人類館」に強くインスパイアーされた作品だ。詩森が2020年にアイヌを題材にした「コタン虐殺」の要素も盛り込み、流山児★事務所らしいアナーキーな舞台となった。

「人類館」は、1903年に大阪で開かれた内国勧業博覧会の「学術人類館」で、アイヌ、台湾先住民、琉球人、朝鮮人など32人の人々が民族衣装を着けて見世物≠ノされた、いわゆる「人類館事件」をモチーフにして沖縄の近現代史を批評的に描いた戯曲。沖縄・糸満の丘の上に建つ「南北の塔」(沖縄戦で命を落としたアイヌの兵士を含めた戦没者慰霊塔)に目を留めた詩森が、沖縄、北海道という南北の辺境からの複眼の視点で、戦争を起こした「大日本帝国」そしてその後の「日本」を見つめ直す劇に仕立てた。

人類館の陳列のシーンから劇は始まる。強圧的な調教師(山下直哉)と正体のよく分からない女(伊藤弘子)、男(塩野谷正幸)が狂言回しとなって、沖縄とアイヌ、そして沖縄戦を巡る様々な劇中劇が繰り広げられていく。人類館における民族差別、ヤマトの兵士(杉木隆幸、里美和彦、工藤孝生)による沖縄民間人(竹本優希、甲津拓平、龍昇、かんのひとみ)切り捨て、ひめゆり学徒隊(福井夏、山川美優、荒木理恵)、集団自決、アイヌ兵(浅倉洋介、三上陽永)と沖縄兵(五島三四郎、上田和弘)との友情……。

その描き方はストレートでいささか既視感も覚える。が、そこで留めないのがちねん&詩森流。劇中劇がドラマティックになってくると、唐突に調教師がしゃしゃり出て、「猿芝居」と罵倒したり、身も蓋もない後日談を披露して感動を台無しにする。とにかく異化効果だらけのメタシアトリカルな舞台だ。

後半、舞台が精神病院に移った辺りで、ドイツの劇作家ペーター・ヴァイスによる怪作「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者によって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」(通称「マラー/サド」)を思い出す。「マラー/サド」のベルリンでの初演が1964年、邦訳が出たのが1967年、「人類館」の発表が1976年だから、あるいはちねんもヴァイスにインスパイアーされていたのかもしれない。
鈴木光介による生演奏の音楽はこの舞台でも、激しく舞台を彩る。琉球旋律に乗った破滅的な総踊りから、心にしみる澄んだ歌声まで、その曲調は縦横無尽だ。アイヌに付いての知識を手っ取り早く説明するために「コタン虐殺」から詩が引用されたりもする。まぜこぜ、ぶち込み、なんでもあり。俳優たちの肉体が躍動する。

中でも山下演じる調教師の虚無的で悪魔的な造形に震えた。学術、ヒューマニズムの名の下に差別の実態を隠蔽し、琉球の、アイヌの文化やアイデンティティーを根絶やしにして恥じるどころか、その同調圧力を「日本的秩序」と言い放ってほくそ笑む。間違いだらけの理屈で他者を攻撃して快とする醜さは、近ごろ「右派」を標榜する政治家や論客、ネトウヨを彷彿させる。そして唐突に「戦死ガチャ」なんぞというゲームを持ち出してくる軽さは、真面目をバカにし、何でもかんでも笑いにしようとする今のこの国のメディアそのものだ。細身に長い手足。アメンボを思わせる特徴的な身体で、罵倒し、哄笑し、韜晦し、侮蔑する。その妙に身近な気がする悪意と破壊力が「いま、ここにある危機」に見えて仕方がなかった。
舞台で語られる悲劇的事実は、ある年代以上の観客には周知のことだろうが、声高な歴史修正が叫ばれ、受験対策とやらで学校では近現代史をほとんど素通りするらしい若い観客にはどう映るのか。目からウロコなのか。それとも「またパヨクのプロパガンダか」とせせら笑うのか。どっちにせよ、こんな時代だからこそ是非勧めたい舞台だ。

個人的には、長年読んでみたくて叶わなかった「人類館」を読むことができたのが嬉しい。日本劇作家協会の戯曲デジタルアーカイブに収録されているのが分かったからだ。舞台を観て「人類館」に興味を持ったら是非訪ねて欲しい。「ちねんせいしん 人類館」で検索すれば一発でヒットする。(敬称略)

本日:12(水)昼14時『キムンウタリ』19時『Okinawa1972』公演  水曜・土曜は昼夜「2作上演」です。
この「演劇トライアスロン」をお楽しみください。
お席は「余裕アリ」です。
ふらりと下北沢までおいでください!!
,現代において「絶滅危惧種」と呼ぶべき「劇団」というシロモノの「イマ」でしかできない「オキナワを巡る」二つの超問題劇=集団劇です。その目でお確かめください。「演劇阿呆の群れ」が「ここ」にいます。
●「俳優の怪我で初日を伸ばした流山児事務所「キムンウタリ−OKINAWA1945−」ひとりも欠けることなく幕が開くことできました。繊細さと大胆さ、思いあう気持ちと非情さを瞬時に移動しながらノンストップで駆け抜ける俳優たちの雄姿をぜひ見ていただきたいです。」(詩森ろば)
詩森ろば×流山児のすごい劇です。
上演時間・2作とも約2時間
※当日券は開演40分前より発売します。
【最新前売状況】ふらりとスズナリまで!
 4月12(水)14時『キムンウタリ』▲(残席僅少)
     19時『1972』〇(余裕アリ)
  13(木)14時『1972』〇
  14(金)19時『キムンウタリ』◎(大いに余裕あり)
  15(土)14時『キムンウタリ』▲
      19時『1972』◎
  16(日)14時『1972』◎
  18(火)13時『コタン虐殺』上映会 超余裕アリ
      19時『1945』◎
2作通し券 8,000円(全席指定)
◎予約はお早めに⇒
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