【OKINAWA1972・長編劇評】
BY 山田勝仁氏(演劇ジャーナリスト)これまた、完璧な劇評
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「間然する所がない」というのが私の最上級の誉め言葉。「間然する所がない」=「完璧で非難すべき欠点がない」という意味。「間」はすきま、「然」は状態。「間然」はあれこれ批判・非難すること。 「論語」に出てくる言葉とか。
下北沢ザ・スズナリで上演中の流山児★事務所「OKINAWA1972」(作・演出=詩森ろば)はまさしく間然する所のない舞台だった。
タイトルの「1972」は沖縄がアメリカから返還された年。
沖縄を舞台にした一見関りのない3つの物語が同時進行し、それらが最後に大きな奔流となって現代と通底する。
ひとつは日本・フィリピンの混血児・日島亨(五島三四郎)と幼なじみの喜屋武幸星(キャン=工藤孝生)の物語。亨の父は米軍基地のコックで、母・島原トミ(かんのひとみ)は暴行されて亨を産んだ。
10年に一人の秀才といわれながら、高校に進学する金もなく、やがて喜屋武と共に沖縄やくざ「泡瀬派」の代表・金城雄吉(龍昇)の舎弟となる。
戦前の沖縄に「やくざ」は存在せず、戦後になって、アメリカ軍から物資などを強奪し、民衆に分配する「戦果アギャー」と呼ばれる無法者が義賊として跋扈し、アシバーとも呼ばれる愚連隊が徒党を組んでAサインバーの用心棒などをしていた。
彼らは「コザ派」「那覇派」といった組織を結成。「コザ派」は「泡瀬派」と山原派に分裂。那覇派からは普天間派が独立した。やがて、泡瀬派対「山原・那覇・普天間」の三派連合が対立する。 そこから抗争を繰り返し、第6次沖縄戦争まで行きつく。
那覇派のカリスマが知念世和、通称・知念スタァ(杉木隆幸)。コザ派の代表が国仲善忠(流山児祥)。その配下で狂暴な男がミンタミ(目玉)こと比嘉喜文(甲津拓平)。ミンタミの側近がインテリ崩れの冷徹な新垣清(浅倉洋介)。
日島亨は後に沖縄の裏社会を震撼させる事件の主役となる。
沖縄の苦難の歴史は1600年代の薩摩藩の琉球支配まで遡る。
中国と冊封関係(形式的な主従関係)を結んでいたから、日中の間の綱引きの道具にされていたともいえるが、
独立した国家であったことは確かだ。
それが1879年の日本による「沖縄処分」というだまし討ち的な併合によって日本に編入されたことで、その独立性は崩壊する。
1945年の地上戦、敗戦、アメリカ統治を経て、1972年の日本復帰というまさに苦難の道を歩んできたわけだが、
その沖縄返還の裏に「日米の密約」があった。
佐藤栄作首相(塩野谷正幸)の密使として国際政治学者・若泉敬(里美和彦)が、ニクソン政権の国家安全保障担当大統領補佐官キッシンジャーと秘密裏に交渉。若泉は「核抜き・本土並み」返還を目指したが、69年9月30日、キッシンジャーはニクソンの意を受けて、「緊急事態(有事)に際し、事前通告をもって核兵器を再び持ち込む権利、および通過させる権利」を認めるよう要求した。
若泉は苦慮し、同年11月の再交渉で、「事前通告」を「事前協議」に改めるよう主張し、諒解を得た。
これによって72年の沖縄返還の日程が決まった。
日米の密約の最高度の関与者であった若泉は極秘交渉の経緯を記した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を著し、
沖縄返還から24年後の1996年、「(沖縄の)歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り」と言い残し、
青酸カリ服毒自殺する。
若泉の苦渋は自分がアメリカにだまされていたという悔悟だ。
アメリカは、もはや重要ではなくなっていた「沖縄の核」を重要なカードと見せかけて交渉に当たり、日本政府から「沖縄から核兵器を撤去する」という大きな譲歩と引き換えに、日本側に「沖縄米軍基地の永久使用権」を認めさせたのだ。つまり若泉の密約交渉は沖縄基地の恒常化をカムフラージュするものに過ぎなかった。
舞台は6次まで続いた沖縄やくざの内部抗争を軸に、佐藤首相・若泉敬の秘密交渉の場を往還させながら、今の辺野古問題につながる沖縄問題のルーツを描く。
今回の舞台、初演のSPACE早稲田からスズナリに変わったことで舞台のスケールが大きくなり、やくざ同士の立ち回りに迫力が加わった。 役者もいい。
これほど一人ひとりの役者の個性をくっきりと浮かび上がらせ、生き生きと舞台を疾走させた作品はそうそうない。
日島亨役の五島三四郎と喜屋武幸星の工藤孝生の野性味と敏捷な身体性。金城雄吉の龍昇は「仁義なき戦い」の金子信雄ばりの食えない親分を好演。ミンタミの甲津拓平の愛嬌ある武闘派ぶりが舞台を最後まで引っ張った。浅倉の頭脳派若手やくざっぷりがまた見事。
沖縄空手の達人・知念スタァの杉木が、酒も飲まず女房一筋の禁欲的なやくざ役が異彩を放ち、舞台を引き締めた。大ボス国仲の流山児が解説役も務めるなど、場を和らげた。
女性陣では亨の母親のかんのひとみが息子に手紙を書くために文字を習うという無学ながら子を思う母の心情を切々と演じ、伊藤弘子は気風のいい姉御肌の妻を艶っぽく。佐藤首相役の塩野谷は鵺のような権力者の不気味さを。若泉役の里美がインテリの苦悩を好演。
亨の恋人でバーのホステス役の福井夏が男を手玉に取りながらも亨への純情を見せた。彼女は「城山羊の会」解散公演「埋める女」での少女役が魅力的だった。セリフの反応、レスポンス、リアクションが見事。山川美優、荒木理恵がホステス役で舞台に色香をまき散らし、本間隆斗、山下直哉が舞台を疾走した。
鈴木光介の生演奏が素晴らしい効果をあげた。
詩森ろばの作劇と演出手腕が細部にまで行き届いた1時間50分。
2時間以内でも、こんなに濃密な舞台ができるという好例。
23日まで「キムウンタリOKINAWA1945」と交互上演。