【演劇評論家:今村修氏の劇評】
実に明快で的確な劇評が出ました。有難うございます。
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一昨日はマチネで、日本の演劇人を育てるプロジェクト新進演劇人育成公演演出家部門「血は立ったまま眠っている」
(作=寺山修司、演出=三上陽永)@Space早稲田。
60年安保闘争絶頂の1960年に、劇団四季によって初演(演出=浅利慶太)された寺山の初戯曲。
再びこの国が大きな曲がり角を迎えている今、この半世紀以上前の戯曲に青森高校での寺山の後輩で39歳の三上が挑んだ。
若気のいたり≠ェ過激に炸裂する音楽劇だ。
革命を目指して、自衛隊施設からの盗みを繰り返すテロリスト・灰男(渡邊りょう)と彼に憧れる良(新垣亘平)。
リンゴの闇横流しで一攫千金を目論む、陳または張(申大樹)、そばかす(杉浦一輝)、ペギー(内田敦美)
、南小路(渡辺芳博)、葉っぱ(木村友美)、釘(神原弘之)、君子(竹本優希)のチンピラグループ。
そしてチンピラたちとつかず離れずの床屋(甲津拓平)とその息子で猫殺しの少年(本間隆斗)。
社会の底辺、ゴミにまみれて暮らすこの3組の群像が持て余したエネルギーを爆発させる。
良の姉の夏美(伊藤麗)、胡散臭い雑誌記者(藤原啓児)も巻き込んで、青春の暴走は加速していく。
疾走感満載の舞台だ。チンピラたちは、戯曲に記された寺山の詩の多くをブルース、ロックの曲(音楽=オレノグラフィティ)
に乗せ歌いまくる。スズキ拓朗の振付によるダンスも盛り沢山。それが、舞台に強烈なドライブ感を生む。
チンピラたちの無軌道な高揚感に、ニュースで見た北九州のど派手な成人式を思い出す。
60年代といえば、つい社会に対するルサンチマンとか思ってしまうが、
今も昔もヤンキーたちの感性は多分余り変わってはいないのだろう。
ルサンチマンと言えば猫殺しの少年の方か。
63年後の今に通底するその冷えた悪意に戦慄する。
一方で灰男たちは、社会のペストとなることを夢見るが、実際にやっていることはコソ泥に過ぎない。
言ってることとやってることのギャップに笑ってしまう。
だが、これこそが「想像力による現実変革」を夢想し続けた寺山の真骨頂ではないだろうか。
単なるコソ泥も想像力によって偉大な革命へと昇華させられる。
そして最後にはそれがあろうことか、実際に起こってしまう(らしい)のだ。
身勝手で計算高い大人≠ノ利用され、夢想と現実の間で引き裂かれる灰男と良が痛々しい。
それにしても、舞台に充満する(ように感じる)汗とやり場のない怒りと悪臭の密度はどうだ。
いかにも人間くさくていっそ痛快ですらある。
そして、唐突に、今ニュースを賑わしている闇バイト強盗団のことが頭に浮かび、両者の体温差に唖然とした。
ドストエフスキーの「悪霊」登場する「ロシア中央委員会」を彷彿させる強盗団の人間疎外、
効率第一の組織に比べて、灰男たちの営みは愛らしくさえある。
今のイリーガルに想像力が羽ばたく余地はない。
この国はとんでもない所にまで来てしまった。
若い想像力によって蘇った63年前の戯曲が、そのことを今さらのように突きつけてきた。
(敬称略)