【本日28(火)14時、愈々千穐楽!】
■山田勝仁氏(演劇ジャーナリスト)の劇評
見る快楽、聴く快楽、感じる快楽に満ち溢れた舞台だった。端的に言えば、めっちゃ面白い舞台だった。
下北沢ザ・スズナリで上演中の日本の演劇人を育てるプロジェクト 新進演劇人育成公演俳優部門「森から来たカーニバル」(作=別役実、脚色・演出・振付=スズキ拓朗、音楽=諏訪創)がそれ。明日までなのでお時間ある方は騙されたと思って駆けつけてくださいな。絶対損はさせない自信あり。
元の戯曲は別役実らしい不条理劇で、それを換骨奪胎し、おもちゃ箱をひっくり返したようなダンス・パフォーミング・アーツにしたスズキ拓朗の才能とセンスが100パーセント発揮された舞台。
春になるとカーニバルがやってくる。見世物の象が森からのっそりと現れる。カー二バルの呼びものの象は「踏み潰されて死にたい人々」を踏み潰しながら、7つの街と7つの村をゆっくりまわり、135人を殺し、122人のみなしごを置き去りに森に帰ってゆく。
冒頭は2人の男(鳥越勇作・鈴木幸二)が担架で運んできた男(帽子屋=いわいのふ健)の死体をゴロリと床に転がすところから始まる。
舞台には壁。それが前後して移動する。象をかたどり、「足」など、ところどころに「空間」があり、死体もそこに吸い込まれる。
床下からは不思議の国のアリスのようなお嬢さん(小林らら)が顔をのぞかせ、4つのドアからは4人の女が現れる(編み物をする女=よし乃、乳母車の女=橋口佳奈、近所の奥さん=竹本優希、ウエイトレス=山下直哉)。
妻(山ア薫)と夫(いわいのふ健)、ボーイ(小林七緒)、怪しげなカーニバルの男(石渕聡)、牧師(伊藤藤奨)、そして迷彩服を着て笛を吹く森(諏訪創)…。
セリフの中には青酸カリ、トリカブト…彼らが繰り広げる春の一日の不思議な騒動は死の匂いに彩られている。
中心気圧920ミリバールで近づくカーニバルとは何か、災害?戦争? 森とは、死にたがる人たちとは。
別役実の不条理世界に惑乱されながらも、ダンスやパフォーマンスでことばを身体化することで舞台が華やぎ、躍動する。止まらないそのスピード感。観客を一瞬も飽きさせない娯楽性たっぷりの舞台。
育成対象者のよし乃、橋口、竹本のアクティブな演技。このところ進境著しい山下の女装っぷりも笑える。
カーニバルの男の石渕(コンドルズ)のダンスも見もの。艶麗な山ア薫と男っぽいいわいのふの「夫婦」の不思議な存在感。七緒のステップ、伊藤の身軽さ、諏訪の不気味さ。鳥越・鈴木の奇態なコンビ。
死を呼ぶ「お嬢さん」の小林ららはバレエダンサーのような柔軟な身体と演技で実にチャーミング。
象をかたどり、前後に移動する壁、文字がばらけて変化する映像など青山健一の舞台美術・映像も特筆もの。
別役実には「象」という作品があり、1962年、早大学生劇団「自由舞台」に書き下ろしたもの。日本読書新聞に連載されていた辛口の劇評が初めて褒めた作品で、後に別役実が「あの劇評がなければ自分は劇作家を続けていなかった」と述懐した。
体を切り裂き、血染めになりながら見世物となることで原爆を告発する「病人」と、「過ぎたこと」として忘れようとする「男」の対立を描いたものだが、「象」は別役にとって特別なものなのだろう。
◆◆◆
舞台を見ながら小松左京の短編「春の軍隊」を思い出していた。
うららかな春の日、郊外にあるマイホームに帰ろうと男が穏やかな陽光の下、農道を歩いていると、突然、軍隊が行く手を阻む。自衛隊の演習か?と思うが違うらしい。
抗議するも「最前線に紛れ込んだ民間人」としてスパイの嫌疑をかけられる。
そうこうしてるうちに、戦闘が始まる。相手の軍隊がどこの国なのかもわからない。
男も巻き込まれ、重傷を負う。村人は機銃で頭や手足を吹き飛ばされる。
国内で始まった2つの軍隊の局地的な戦争は新聞で伝えられるが、多くの国民は無関心のまま48時間後に戦闘は突然終わり、二組の戦闘員は煙のように消えてしまう。
突然現れ、また突然に消えてしまった軍隊。
男は「あれはなんだったんだろう」と不思議に思うが、「戦争というものはそもそも、そういうものではないか」と吐息をつく。
「平和なこまごまとした日常の暮らしの中に、突然、どかどかと重たい泥だらけの靴で入り込んでくる。火と鉄と破壊と、どなり声の、情け容赦ないごついもの……敵も味方も第三者もない、あの理不尽な暴力が」と。
「森から来たカーニバル」に現在のウクライナやガザを投影するのは簡単だが、別役作品にはもっと奥深い人間存在そのものの不条理がある。23日〜28日。(27日マチネ)。